2020年 京都大学 二次試験 日本史

かっぱの大学入試に挑戦、29本目は京都大学の日本史。時代は古代・中世・近世・近現代。形式は用語記述で3題、論述で1題。史料読解あり。毎度おなじみの形式です。では、以下私なりの解答と解説。


第1問 『日本三代実録』『神皇正統記』『日本改造法案大綱』

問1.解答 9歳

解説 やや難。まずは史料中から「貞観の政」とあることや、880年の記事であること、問2以降の設問から、この史料が清和太上天皇の崩御について記したものであることを判断したい。となると清和天皇の即位が何歳か、という問題になるが、即位の年齢を暗記する以外にも解答は導ける。880年に数え年31歳で崩御したということは、清和天皇は850年生まれということになる。天皇として即位したのは藤原良房が実質的な摂政を始めた年であり、858年である。また、問3には貞観年間が859年から始まっていることが記されており、即位した翌年に改元したと考えれば、9歳の時に即位したと判明する。いずれにしろ細かいことに変わりはないが。

問2.解答 関白

解説 史料が清和天皇についてのものだと分かれば、「当朝の摂政」である「忠仁公」とは藤原良房のことであり、その養子で政治的地位を受け継いだ人物とは藤原基経であり、884年に就いた重要な地位は関白であると導ける。

問3.解答 新羅

解説 「貞観年間」に日本と政治的緊張が高まった国でるが、「海峡を隔てた九州北部の勢力」というのが大きなヒント。当時朝鮮半島にあった王朝を想定すれば、新羅が導ける。

問4.解答 善男

解説 「大納言伴」とあり、さらに「応天門」の放火の事に触れているので、応天門の変で失脚した伴善男を想起したい。

問5.解答 八虐

解説 「大逆」や「謀反」「悪逆」などの総称、とくれば律令国家において重罪とされた八虐であろう。

問6.解答 僧侶:円珍 寺院:園城寺(三井寺)

解説 「唐に渡り、台密の発達に寄与した僧侶」だと円仁か円珍で迷うかもしれないが、「僧侶の門徒(寺門派)」とくれば円珍で拠点が近江の園城寺(三井寺)と判断できる。

問7.解答 平治

解説 イから26年経って「文治」に源頼朝が権力をほしいままにし、それから37年経って「承久」に北条義時が権力を握ったということは、1221年の承久の乱より37年前の1185年の文治元年より26年前となると1159年となり、平治の乱のころと導ける。

問8.解答 壇の浦の戦い

解説 「源平争乱を終結させた合戦」なので、1185年の壇の浦の戦いである。

問9.解答 後醍醐天皇

解説 「承久」から113年の後、と史料から読み取れば、1334年ごろの天皇であり、また問10から、足利高氏が味方した天皇ということで、後醍醐天皇と導きたい。

問10.解答 北条高時

解説 足利高氏に「出陣を命じた得宗」であり、このころの鎌倉幕府の得宗と言えば北条高時である。

問11.解答 観応の擾乱

解説 ウは「弟」とあり、「高氏とともに二頭政治を行った」人物なので足利直義である。足利直義が滅亡した幕府の内紛と言えば観応の擾乱だろう。

問12.解答 御家人

解説 「頼朝と主従関係を結んだ」立場で、漢字3字なら、御家人が想定できる。

問13.解答 そこまでの大功が無い人物に大きな恩賞を与えたこと。

解説 史料文最後の「サシタル大功モナクテ、カクヤハ抽賞セラルベキトモアヤシミ申ス輩モアリケルトゾ」というところがヒントだろう。史料自体は北畠親房の『神皇正統記』である。「高氏御方ニマイリシ、ソノ功ハ誠ニシカルベシ」とあるが、史料後半では「昔、頼朝タメシナキ勲功アリシカド、高位高官ニノボルコトハ乱政ナリ」とも述べられており、「高氏等ハ頼朝・実朝ガ時ニ、親族ナドトテ優恕スクコトモナシ」とあり、高氏ら一族に過大な恩賞を与えていることを批判していると読み取ることができよう。史料の読解が必要なやや手間のかかる問題であった。

問14.解答 二・二六事件

解説 「内大臣の斎藤実や大蔵大臣の高橋是清らを殺害」から、二・二六事件とわかる。また、「この史料の筆者から思想的な影響を受けた」とあることから、この史料が北一輝の『日本改造法案大綱』であると判断できる。

問15.解答 加藤高明

解説 「二十五才以上の男子」に選挙権を与える衆議院議員選挙法改正とは普通選挙法のことであり、普通選挙法を成立させた内閣と言えば加藤高明内閣である。

問16.解答 あ:小作農(小作人) い:政府が地主から土地を買い上げ、小作農に売り渡した。

解説 「土地を有せざる農業者」で「使用料」をおさめる者とはつまり小作料を地主に支払う小作農(小作人)である。1947年の農地改革では、地主が小作農に貸し付けていた土地を政府が買い取り、小作農に売却することで自作農を創設した。

問17.解答 労働基準法

解説 「1947年」「最低賃金や労働時間などの労働条件を定めた法律」とくれば労働三法のうちの一つである労働基準法である。

問18.解答 工場法

解説 「1911年に制定」「12歳未満の工場労働を禁じ」「女性と15歳未満の男性の工場労働を1日12時間までに制限」とくれば工場法と判断できる。それにしても史料C自体の読み込みは必要のない問題ばかりであったが、皇道派の青年将校に影響を与えた北一輝の『日本改造法案大綱』に、普通選挙や自作農の創設、労働者の権利などについて言及があるというのはおもしろい話だったのではないだろうか。


第2問 原始~現代の雑題

問1.解答 ア:石錘 イ:石鏃

解説 アは「漁網のおもり」の「石器」、イは「矢に使われた」「石器」なので、それぞれ石のおもりの石錘、石の矢じりの石鏃である。

問2.解答 ウ:菜畑 エ:続縄文

解説 ウは「佐賀県」で「縄文時代の晩期ころ」に「水稲栽培が開始されていたこと」が分かる遺跡なので菜畑遺跡である。エは「北海道」で継続した「食料採取文化」から判断。

問3.解答 オ:群馬 カ:群集墳

解説 オは「三ツ寺Ⅰ遺跡」の所在県として判断するしかない。カは「古墳時代後期ころ」「小型墳の密集」とくれば群集墳だろう。

問4.解答 キ:推古 ケ:飛鳥

解説 キは「隋と正式な国交が結ばれた」時の天皇なので推古、クは「法隆寺金堂釈迦三尊像」とくれば飛鳥文化である。

問5.解答 ケ:大唐 コ:一遍上人絵伝

解説 ケは「鎌倉時代」に輸入された「収穫量の多い」米と言えば大唐米である。コは「備前国福岡における市のにぎわい」は教科書に絵図で掲載されていることも多いだろう。『一遍上人絵伝』である。

問6.解答 サ:新古今和歌集 シ:禁秘抄

解説 サは「後鳥羽上皇」の編纂させた「勅撰和歌集」で判断。シは後鳥羽上皇の子=順徳天皇が著した「有職故実の書」で判断。

問7.解答 ス:(院)評定衆 セ:宗尊親王

解説 スは「後嵯峨上皇」が「裁判制度の充実」のため設置とくれば評定衆である。幕府のものと区別して院評定衆とも言った。セは後嵯峨上皇の子で、「幕府の将軍」になったとなれば皇族将軍の宗尊親王である。

問8.解答 ソ:応永の外寇 タ:三浦の乱

解説 ソは「15世紀前半」「対馬」が「朝鮮軍によって襲撃」とくれば1419年の応永の外寇である。タは「16世紀初頭」「日本人居留民ら」による暴動とくれば1510年の三浦の乱である。

問9.解答 チ:ヘボン ツ:大隈重信

解説 チは「幕末維新期の来日西洋人医師」「アメリカ人」「ローマ字の和英辞典」でヘボン式のヘボンを想起したい。ツは「条約改正問題により襲撃されて重傷を負った外務大臣」といえば玄洋社に襲撃された大隈重信であろう。

問10.解答 テ:教育委員会 ト:文化庁

解説 やや難か。テは「地方公共団体で文化財保護を担当」だけだと知らない受験生もいるかもしれないが、「教育行政に国民の民意を反映させ、地方分権化をはかるため、1948年に設置」で判断したい。トは「伝統ある文化財を保護し文化を振興する」ための中央官庁として文化庁を想起したい。


第3問

A 古代の中央集権国家の成立

空所補充 解答 ア:評 イ:国造 ウ:庚午年籍 エ:食封(封戸) オ:軍団

解説 古代の制度史の基本問題。アは「大化改新」で「全国的に設置された」支配領域ということで、評を想起したい。イは「地方の有力豪族」であり「律令制下の郡司へつながっていく」ものといえば国造である。ウは「天智天皇の時代」に作成された「戸籍」で判断。エは「一定数の戸からの税収を与える」仕組みと言えば食封またはその戸である封戸であろう。オは「律令制」において「兵士」が「諸国」で配属されたといえば軍団である。

問1.解答 犬上御田鍬

解説 「第1回の遣唐使」で判断。犬上御田鍬は推古朝の遣隋使にも参加しており、第1回の遣唐使で唐に渡った。

問2.解答 内臣

解説 「大化改新」で「中臣鎌足」がついた地位と言えば内臣である。

問3.解答 浮浪(逃亡)

解説 「口分田を捨てて、戸籍に登録された地を離れる」のは浮浪とされたが、所在は把握され調・庸を納めることになっていた。一方で所在もわからず、調・庸も納めない状態は逃亡とされた。

問4.解答 貴族の子孫に、父祖の位階に応じた一定の位階が与えられる制度。

解説 蔭位の制についての説明。五位以上の子、三位以上の孫といった貴族の子孫に、父祖の位階に応じた一定の位階を与える制度である。

問5.解答 藤原広嗣

解説 「8世紀半ば」「大宰府の官人」「反乱を起こした」とくれば、橘諸兄政権に反発した藤原広嗣である。

B 鎌倉・室町時代の仏教

空所補充 解答 カ:重源 キ:律 ク:北条(金沢)実時 ケ:法華一揆 コ:御文

解説 鎌倉・室町時代の仏教に関わる基本問題。カは「東大寺の再建」で「勧進上人となって復興を主導」で判断。キは「北条氏」が「禅宗に加え」「保護」で判断できても良いが、「叡尊・忍性」で確実に解答を導きたい。禅律僧というくくりは中世仏教の理解において重要なポイントである。クは「金沢文庫」を建立とくれば北条実時である。金沢実時とも言った。ケは「日蓮宗」が「京都の町衆」によって形成でも判断できるし、「1536年」に「対立した勢力」=延暦寺によって「焼き払われた」から天文法華の乱を導いて考えても良い。コは「蓮如」が「平易な文章」で書いたとくれば、布教活動で活用した御文である。

問6.解答 貞慶(解脱)

解説 「法然の専修念仏を批判」だけだと判断しづらい受験生もいるだろうが、「南都仏教の復興に尽力」「法相宗」で解答を導きたい。

問7.解答 長講堂領

解説 「後白河上皇」が「持仏堂に寄進」した「荘園群」で判断。

問8.解答 陳和卿

解説 「東大寺惣大工」「宋から来日」で、東大寺復興に協力した陳和卿を想起したい。

問9.解答 北山十八間戸

解説 「忍性」がリード文で出てきた時点で想定しときたい。「病人の救済・療養」「奈良に設けた施設」といえば北山十八間戸である。

問10.解答 富樫正親

解説 「一向一揆により滅ぼされた加賀国の守護」なので加賀の一向一揆で滅ぼされた富樫正親である。

C 江戸幕府の全国支配

空所補充 解答 サ:郡代 シ:遠国 ス:松前 セ:京都所司代

解説 江戸幕府の機構に関する基本問題。サは「関東・飛騨などに置かれた」で判断しても良いが、その前に「代官」と出ているので、セットで押さえたい。シは「全国の重要都市」に派遣された役人の総称なので遠国奉行である。スは「蝦夷地の直轄化に伴い」で松前奉行を想起したい。セは「京都に置かれた」「朝廷の統制・監視」で判断。

問11.解答 佐渡(相川)金山

解説 「幕府が奉行を置いて支配」「東日本有数の金山」で佐渡金山を想起したい。

問12.解答 小物成

解説 「山林・原野・河海などからの収益」に対する税と言えば、年貢などの本途物成に対して小物成と呼ばれた。

問13.解答 松平康英

解説 やや難。「19世紀初頭にイギリス軍艦が長崎港に侵入した事件」といえばフェートン号事件であるが、その責任をとった「長崎奉行」は松平康英である。

問14.解答 権現造

解説 「日光東照宮」に用いられた建築様式といえば権現造である。祀られた徳川家康が東照大権現とされた。

問15.解答 竹本義太夫

解説 「元禄文化」において「大坂」で「人形浄瑠璃」の「興行」を大成させた人物なので、竹本義太夫である。人形浄瑠璃の脚本家の近松門左衛門と混同しないように注意したい。

問16.解答 武家伝奏

解説 「公家」から選出、「朝幕間の連絡」とくれば武家伝奏である。


第4問 田沼意次の財政政策 明治・大正期の社会主義運動

問1.解答 享保の改革は年貢収入を増大させる重農主義的な財政政策であったが、田沼意次の基本方針は年貢増徴だけでなく、民間の経済活動も活用した重商主義的なものであった。具体的には株仲間を広く公認し、運上・冥加といった営業税の増収を目指し、幕府による銅などの専売制を始めた。また、南鐐二朱銀という計数銀貨を鋳造して貨幣制度の一本化を図り、長崎貿易において銅や俵物の輸出を拡大させ、ロシアとの交易も行おうとした。(197字)

解説 設問の要求は田沼意次の財政政策について基本方針と具体的政策を述べること。条件として、享保の改革との違いに着目すること。まず条件である享保の改革との比較であるが、今回はあくまで「違い」に着目するので、共通点はとりあえず置いておき、相違点に注目したい。享保の改革については定免法の採用や堂島の米市場の公認など具体的政策を述べていくと字数が足らなくなるので、基本方針の面で違いを確認する。すると享保の改革については、吉宗が米公方と呼ばれたように、年貢増徴を目指した重農主義的政策であるとすることができる。これに対して田沼意次は、年貢増徴を目指していないわけではないが、重要なのは民間の経済活動を活発化させてそこから幕府の収入を増やす、重商主義的な基本方針をとっていた。具体的政策として、株仲間の公認による運上・冥加の増収、銅座・真鍮座・朝鮮人参座を設けて幕府による専売制の開始、計数貨幣である南鐐二朱銀の鋳造による貨幣流通の一本化、長崎貿易における銅・俵物の輸出と金銀の輸入への転換、工藤平助の『赤蝦夷風説考』をもとにロシアとの交易の模索、といった点が挙げられるだろう。商人資本による新田開発も想定はされるが、享保の改革との違いに着目すると具体例としては挙げにくいだろう。

問2.解答 日清戦争後、資本主義が成立していく中で労働運動が起こり始めると、1901年には日本初の社会主義政党である社会民主党が結成された。日露戦争後は日本社会党が結成され西園寺内閣からも認められたが、桂内閣の時に大逆事件が起こり社会主義運動は一時下火となった。しかし第一次世界大戦後には大衆運動の高まりを受け、日本社会主義同盟が結成された。さらにロシア革命の影響を受け、1922年には日本共産党が結成された。(199字)

解説 設問の要求は明治・大正期の社会主義運動の展開について述べること。シンプルな問題であるが、情報量は多いので字数内に上手くまとめるのが難しい問題。展開としては以下の通りだろう。①日清戦争後:資本主義の成立により労働運動が発生。社会主義運動が始まる。1901年に社会民主党結成(治安警察法により即解散)➝②日露戦争後:1906年、西園寺内閣により日本社会党の結成が黙認される➝③大逆事件:1910年、桂内閣により社会主義者が弾圧される大逆事件発生。社会主義者は「冬の時代」に➝④第一次世界大戦後:米騒動や大正デモクラシーなど、大衆運動の高まりを受け、1920年に日本社会主義同盟結成(翌年禁止)。社会主義の学問的研究の制限(森戸事件)。ロシア革命の影響を受けて1922年に日本共産党が非合法に結成。こんなところだろう。問われているのはあくまで「社会主義運動の展開」なので、日露戦争時の反戦論や治安維持法の制定といった事柄は関係なくはないが、字数の関係で盛り込めなかった。労働運動や女性運動は設問の要求からややズレるので触れなくて良いだろう。いずれにしろ情報の整理が必要な問題である。


以上で終わり。京大は思わぬ方向から知識をつなげる問題が出てきてなるほどなぁと思わされます。今にして改めて見ると、第1問の史料問題は天皇に関する史料というテーマに見えなくもないですね。2月に解いたときにも思いましたが、文化財保護を担当するのが教育委員会、ということはキャリア教育としても必要なことのように思います。

次は京都大学の世界史ですね。

#教育 #大学入試 #京都大学 #京大 #日本史

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