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降りる階

日曜日の朝、10時過ぎ、駅に向かって出かけるために、エレベーターに乗った。朝遅い人も含めて、そろそろほとんどの人が動き出す時間に乗ると、先に老夫婦が乗っていて。

私が乗り込もうとすると、こちらから声をかける前に、おはようございます。と、言われた。

挨拶をされると、凄く良い気分になり、落ち着くのは、なぜだろうか。

乗り込んで、降りる階のボタンを押そうとしたら、ランプがいているボタンはなかった。

そこで悟ったのだが、恐らくその老夫婦は、下に行こうとして、誤って上に行くエレベーターに乗ってしまったのだろう。そして上の階からそのエレベーターを呼んだのが私で。私の階で、その老夫婦の降りたい階のランプは、消えてしまった。


心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、つぶやいた。

エレベーターあるある、だね。



その老夫婦の降りたい階は、たぶん1階だと予測した。やらなくても良いのに、私は、1階を押してから、老夫婦に、聞いたのだ。

1階で、良いいですか?

すると、老夫婦は、自分たちが押した階が消えていること。今の階を見て、自分たちが、登りエレベーターに間違って乗ったことを、ようやく認識したようだった。

そして、2人とも、こう、言った。

はい。1階で、良いです。


恐らく、老夫婦は、8階から乗ってきたのだろう。8階で一度、エレベーターは止まり、老夫婦は、ごめんなさいねと言いながら、私に頭を下げた。

私は、誰も乗ってこないことを確認し、老夫婦に、会釈をしてから、閉まるのボタンを押した。


1階に着き。私は、開けるを押して、老夫婦を先に出してあげた。老夫婦は、有難うと言いつつ、降りたのだが、奥様が、足がお悪いようで、杖をつき、かなりゆっくり出なければ歩けない。

私は、後ろから、ゆっくりで、良いですからと言いつつ、外に出る扉とは反対方向に出た。


反対方向には、少し先に別の扉があって。そこを出ると、一番近隣のスーパーに繋がる交差点がある。そこを渡り、スーパーで所要を済ませてから、駅に向かいたかったのである。

扉を出た私は、横断歩道を渡り、左に折り返して、そして、道路の対岸から、老夫婦が出たであろう玄関の扉を見つつスーパーへと向かった。

その時、気付いたのである。この玄関を出ると、階段がある。上に行くにも下に行くにも、この階段を上るか、下りるか、しなければならない。

あの奥さんは、きっと、不便をしただろう。私が、1階で良いですか、なんて押しつけがましく言ったものだから、遠慮してしまって、それでいいと答えたのだと思う。恐らく。

私のマンションは、2階が正玄関で。そこからは、駅まででも、バリアフリーの遊歩道がある。恐らく、あの老夫婦は、2階で降り、公園に散歩でも行きたかったのだろうと、私は、遅まきながら推測した。

そう思い至ったところで、残念ながら、時間は、2度と戻らない。


心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、つぶやいた。

なんだか、デジャビュだな。


人には、都合がある。そしてその都合を、時には、押し殺したり、遠慮したりして、主張しない人もいる。だから、私のように、サッサとせわしなく決めつけたように行動したり、話しかけたりする人間は、そういう人の奥ゆかしさを踏みにじってしまうことも、往々にしてあるのである。


家内は、あるプロジェクトに参画していて。仕事が忙しくて、事務所のそばのホテルに寝泊まりしている。日曜日の深夜に戻り、月曜日の昼過ぎにはまた、ホテルに泊まりに行って、そこで仕事をしているのである。

マッサージは、とんと、しなくなった。そのかわりに、家内の健康のことを心配をしている。これならば、マッサージをしているほうが、よほど良かった。


心の中の、リトルkokuroが、ボソリと、つぶやいた。


さっちゃん(注1)なら、コジのせっかちを、きっと指摘していただろうな。



やりとりからすると、さっちゃん(注1)は、元気なようである。



だから。



これで、いいのだ。


(注1)我が家の家内の呼称は、「さっちゃん」である。さっちゃんは、女王陛下という別の呼称もある。だが、リキとの関係で、そもそもの飼い主が長男であることから、私は、おじいちゃんだが、家内に対して「おばあちゃん」なんて呼び方は、まかり間違っても、してはならないのである。

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