一番
実は私は、ほぼ、食べ物の好き嫌いが無い。どうしても苦手という食べ物は、ほぼ無いのである。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
ほぼ、は、気になるなぁ。
この世の食べ物をすべて食したわけではないし。私とて、好んでまでは食べないものは、あるには、ある。そういうことを含み、ほぼ好き嫌いは無いと、いつも表現している。
では、大好きな食べ物を並べていくと、どうなるか?これも、好んで食べたいものが幾つもあり。非常に絞るのは難しい。
一応、ベストスリーは、心に決めている。それは、家族も周知の事実で。
その中でも、ダントツに一番の大好物なのが、スイカである。
だが。
この話をすると、家族がみんな、訝しがる。
そんな、季節の食べ物を。そして、食べ物と言っても、たかが果物じゃないか。それを、この世で一番の大好物というのは言い過ぎだろう、というのである。
まあ、ちょっとだけ、語ってみる。
思い返すと、あれは、小学校の、まだ低学年。2年生くらいの頃。夏休みで、母の実家に帰ってきていて。朝早くから遊び回っていた。
暑くなるから、お昼までには帰ってきて、行水をして昼寝をしっかりするように言われていた。
でないと、日射病や熱射病になるよ。
その頃、熱中症なんて言葉、無かったと思う。
だが。悪ガキの私は全く言うことを聞かず。早朝から昼過ぎまで遊びまくり。周りの悪ガキどもでもみんな昼までに帰宅するのに、外に居続け、空腹でたまらなくなってから帰宅し。行水はするものの、昼寝などする時間は無く。毎日、こっぴどく叱られるいうのがお決まりの日課だった。
ある日のこと。山腹の寺までちょっとだけ遠出をしたのだ。だがその日はなぜか、昼前から少し、体調がいつもと違っていた。
そして他の悪ガキどもが三々五々帰ってしまってから、妙に頭が重くなってきたのだ。
起きているのに、まだ目覚めていないような。ボーッとした感じ。
汗は急にとまってきて、暑いのに肌寒いような感じがしたり、モーレツに暑く感じたり、つまりは、正常な温度感覚を失ってきて。
心臓もドキドキしてきて動悸が激しくなり、しまいには、目眩がしてきて立っていられなくなった。
歩こうにも、真っ直ぐ歩けなくて。何度もこけてしまう。
さすがに、ヤバいと思った。だが、もう、自力で動けない。帰れない。
声も出せなくなって、本堂の横っちょの日陰で寝転んだ。
これが、日射病か……
こりゃ、ヤバいかもな……
このまま死ぬのかな……
今夜のカレーは、食いたかったな……
そんなとき。ふと、目の前に現れたのは、お向かいのSちゃんと、そのお母さんで。
コジ坊(注1)くん、どうした?
そう言って、二人が上から顔を覗き込んだ。
そして、カットされたスイカを取り出し、食べてみろと入れ物ごと手渡してくれた。
私は、壁に背もたれて、何とかスイカを口にした。それほど甘いスイカではなかったが、塩がたんまりと、かかっていた。
もともとスイカは大好きだったが、このスイカは、また特別で。五臓六腑に染み渡った。
生き返るとは、このことかと思った。
少しずつ、少しずつ、食べた。
最初は口を動かすのも不自由だったが、だんだん食べられるようになり、おかわりをし、入れ物の中全部、かなりの量を食べた。
どれくらいの時間が経過しただろうか?恐らく、1時間近くも食べつつ、寝転がっていたと思うが。なんとか動けるくらいにまで回復した。
そこへ、また、Sちゃん親子が現れて。まだそこにいたのかねと、笑った。
その時は、少し違和感は残っていたものの、確実に意識はハッキリし、身体は回復していて。危機は、既に脱していた。
もらった入れ物は、空っぽになっていたが、たくさんあるから良いんだよと、Sちゃんが入れ物だけ私から取り上げてくれた。
帰る方向は全く一緒だから。3人仲良く、おばさんの日傘の庇護のもと、歩いて帰宅した。
当然、帰宅すると、いつもの何倍も絞られた挙げ句、もう外出は禁止だと、薄暗い祖父の書斎に蹴り入れられて、夕飯も食べさせてもらえず、長時間閉じ込められた。
あの時のスイカが忘れられないのである。
大袈裟ではなく、希望の匂いがし、命の味がするのだ。スイカという食べ物は。
この話。家族のみんなには、幾度となく話していて。みんな、知っている。
だが。
ふーん。で、終わる。そして、また、忘れられている。
子供心に、死ぬかも知れないなんて気持ちを、少しでも抱いたことのない普通の人には、自らの悪行で熱中症で死に損なった悪ガキの気持ちなんて、わからないのかも知れない。
そんなこんなの、昔々の命のスイカの思い出話を家内としようかと思って振り返ると、空のソファーが、ただ、笑っていた。
家内は、夏のプロジェクトに参加するため、実は、先日から家を空けている。今回は、不在期間が長く、8月末までは都心のホテルで泊まり込みになり。帰宅するのは、日曜日の深夜で 。月曜日の午前中には、また、出ていくのである。
日曜日の夜は、入念にマッサージをしよう。そう、心に決めている。
昼間の、家内とのやりとりからすると、家内は、元気なようである。
家内が元気だと、我が家は、明るくて、平和である。
だから。
これで、いいのだ。
(注1)母方の実家のお向かいさんのTさんご一家は、私のことを「コジ坊くん」と呼んだ。我が家は幼稚園の年中まで母方の実家に住んでいて。母方の祖父母が男の子供の名前の最後に「坊」とつけたので、そんなちょっと変わった呼び名になった。
■追記■
面ゆるって、なに?
それは、これ。西尾さんはじめ、みんな、面白い作品をあげていて。
私は、だいたい土曜日の夜に、そこそこの過去記事をあげています。
もしも、お時間があれば、みんなの作品、読んで頂けたら幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?