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カレーライス

他の人たちの記事を見ても、カレーライスはよく出てくる。夏カレーという言葉もよく聞くし、実際に商品があったりする。カレーライスは好きな食べ物だし、今日はカレーライスについて書いてみたい。しかも、母が作ってくれたカレーライス、お袋の味の話だ。

母は、美味しい食事や、手の込んだ食事を作るタイプではなかった。だから、料理上手な母というのは、友人宅で時々見かけたりして驚愕したが、あくまでも異次元、ドラマや作り話の世界の存在だった。ただ、私は、どちらかというと質よりも量だったので、母の料理に文句をつけたことなどない。


ある日、カレーライスが異常に酸っぱかった。何か違うものを混ぜたかといぶかしがったが、その日は何も言わず何杯かおかわりをして済ませておいた。逆に兄は、量より質の人である。料理下手の母に、よくいろいろな改善提案をしていた。その兄が、

妙に酸っぱいなぁ、このカレー。傷んでないか?

と言って結局は大半を残した。兄は、食も細かった。そしてそれは、私にまわってきて、私は敗戦処理投手としてマウンド登ることになった。

カレーは、どこの家庭も鍋から無くなるまで続くことがある。我が家もその例に漏れず、連日だった。しかも兄が食べないものだから、翌日も、その翌日も続き、そのカレーが酸っぱいのである。しかも毎日酸っぱさが激しくなっている気がする。さすがに私も、

食べはするけれど、なんか、混ぜてるだろう。

知らん。

母は一蹴いっしゅうした。

その晩のことだった。兄に呼び出されて狭い家の唯一の隠れ場所である風呂場に2人で隠れるようにして会話をした。

絶対におかしい。今度カレーを作る時に、お前、現場を押さえろ。

兄貴、多分、酢を入れていると、俺は思う。

私は兄のためというよりも、酸っぱくないカレーを食べたい一心で次のカレーを待った。レシピがあまり頭にない母のことだ。一週間もしないうちにその日を迎えた。


私が帰宅した時、母はまだ晩ご飯を作ろうとしていた。鍋に、野菜がたくさん。そして何より、カレーのルーの箱が、テーブルに乗っかっている。

今日、カレーだ。もしかしたら現場を押さえられるぞ。

私はひとり心の中でほくそ笑んだ。そして時を待った。

机に向かって漫画を読んでいるふりをして、物陰に隠れ、ずっと監視をしていた。母親を監視するなんて良い子のすることではないが、これは、美味しいカレーを家族で食べるためだと何度となくひるみそうな自分を自分自身で励ました。

そして、とうとう、その時はやってきた。母が酢のびんを持ち出したのだ。しかし自分に心の中でささやくように言い聞かせた。

待て。待て。まだ、待て。注ぎ込む瞬間を押さえるんだ。

とうとう、母は酢をカレー鍋の中に注ぎ込んだ。

そこで私が音を消して一瞬で母の背後につく。で、低い声を出して言った。

酢を、入れていたな。現行犯だ。

すると、一瞬、ハッとしてひるんだかのように見えた母は、背筋を伸ばしてこう答えた。

これは、酢やないで。

何を。びんに、酢のレッテルが貼られているじゃないか!

ラベルが間違ってるんや。

はぁ?言い逃れか!

あんたの見間違いや!

こんな気絶しそうな不毛な言い合い、ドリフのコントでも出てこない。事実は小説よりも奇なりというが、まさか我が家で、こんなかたちで経験するとは思ってもみなかった。

やがて兄も父も帰宅してきて、事情を話しても母は、証拠が無いと私を嘘つき呼ばわりするばかりだった。その当時にスマホがなかったことが、いまだに悔やまれる。ただ、その後の家族会議で母は謝ることはしなかったが、自己弁護だけは、やってのけた。兄貴を指差して言ったのだ。

それはな、あんたが酢の物を残すからや。酢はな、健康にええねん。

いやいやいや。健康と味、どちらをとるかという話をしているのではなくて。酢の物は酢の物で出さないと、カレーは、食べられないよ。だいたいカレーに酢を入れるって人なんていないから。酸っぱいカレーは、美味しくないよっていう、すごく単純なお話ですから。これは、思わず声に出た。文句ではない。青年の主張だ。

それから先、酸っぱいカレーは出てこなかった。ただ、私のお袋の味というリストの中に、カレーライスは、残念ながらリストアップされることはなかった。


尼崎出身の母は、既に他界している。質より量の私のリクエストを、忠実に守ってくれた。私は、母のおかげで、何の好き嫌いもなく大人になれたし、何を食べても美味しいと言える大人になった。母は、病弱な父の看病をすることが多かった。そして健康には過剰に気をつかった。その現れの、ごく一部の思い出である。今は亡き母に、心から、感謝。多謝。

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