お札
タイトルは、お札ではなくて、お札である。お守り札のことである。
節分を過ぎて、2月も中旬に差し掛かった頃、大失態をやらかしてしまった。それは、一陽来復と一陽来福のお守り札を、なんと、落としてしまったという話である。
私の手から落としたというのではないが、壁に貼り付けてあったものが、落ちてしまったのである。
毎年、ちゃんとお守りを貼っているという話を、したばかりで。
アドコムさんからも、こんなメッセージを頂いていた。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
驕り高ぶりがあったのではないか。心の隙が、あったのではないか。コジ。
それは無かったが。ただ、思い当たるところがある。それは、固定用の画鋲をつけ忘れたことである。
私は、手製の台紙を準備し、そこに、一陽来復と一陽来福のお守りをとりつけ、その台紙を、ある程度正確に恵方に向けるようにしている。
今年の恵方は、北北西である。我が家の南側の窓は、若干、南西に振られている。そして、その方面にお守りを貼るとすれば、台紙は、南東の隅に、それほど大きくない角度をつけて、台紙を貼る。
台紙は、いつもは、ちゃんと、画鋲でつけるのだが、あまり角度と隙間が無いところへ入れるのは、ちょっと骨が折れた。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
これは、画鋲を変えないとダメだな。あの、古風な、ひらべったいやつに。
そして冬至の翌日、私は、確かに、百円ショップで画鋲を購入したのだ。だが、それからずっと、きちんと固定用の画鋲を差し込むのを失念していた。
心の中の、リトルkojuroが、言葉を失った。
…………。
落下してしまったお守りはどうするかというと、これも、アドコムさんが、きちんと教えてくれている。
つまりは、お守り札を納めに行かねばならないのである。
それも、最近、忙しさにかまけて、お守りを納めに行っていない。毎年お守りは、早朝に並んで自分で頂いてくるのに、今年は、家内にお願いをしてしまった。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
大切なことは、自分でやらねば。その意識が欠けるところに、結果的には隙が生まれ、失態を為す。
リトル、一緒に仏門にでも入るか。
………。
リトルkojuroは、再び、言葉を失った。
邪念のありすぎる私が、仏門に入れるはずがない。それは、わかっている。だが、時には、後悔が追いつかない失態というのも、あるものだと改めて気づいた。
早稲田には、近々、行くこととしよう。それよりも先に、さっちゃんが不在の間の家事を、全うにこなしていくことが先のようである。
自主トレを申し出ようにも、申し出る相手もおらず。さっちゃんが不在の間は、おとなしくしている他は無いようである。
また、夜、ひとり、静かに電気を消した。
だんだんと、この、フェードアウトしていく景色にも、慣れてきたような感じもする。
まあ。
これでも、良いのだ。
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