驚愕
今でこそ、マスクはあたりまえになっている。というよりも、マスクをしていないことのほうが不自然な時代になった。まさかこんな時代がやってくるとは思わなかった。ほんの1年前は、マスクはそんなに市民権を得た物ではなかった。
私は、かなりひどい花粉症だ。しかもいろいろな花粉に反応するために、1月から秋口までほとんど連続して鼻がつまり、かゆく、ひどい時にはマスクが欠かせない。さすがに夏は暑いので、なるべく外すようにするのであるが、8月の終わりから秋口近くにブタクサの花粉が飛び始めると、ときおり、マスクをしていくことになったりする。
昨年、8月の終わり近く、そんな日があったのだ。そしてその時、朝はマスクをしていった。だが、外回りをしているあいだに暑くなり、知らず知らずのうちにマスクを外してしまった。仕事を終わって事務所から出る時に、マスクをかけてはいなかった。
事務所を出た私は、鞄から取り出した予備のマスクをして、帰路を急いだ。帰宅まで、電車を1度乗り換える。今とは違い、平日は遅くまでかなりの混み具合だ。そして、乗り換えた頃からなぜか、周囲の反応が気になるようになった。どうしてか私の顔を見ている人がいる。しかも、ちょっと奇異なものを見るような目つきというか、笑っているような目をしている人も、こらえているような人もいる。そういう不思議な視線を感じるようになったのだ。
私は思った。この季節、確かにマスクをしているのは、暑苦しい。そして、珍しい。きっと、マスクのせいだろう。
最寄りの駅につき、家までの坂道を登っていく。もうその時間は、人もまばらだった。だが、上から自転車で降りてくる若者がいる。どんどん近づいてくる。そしてすれ違う。が、その若者は、私の顔を、ずっと見ていた。振り返るくらい、見て、走り去った。
そんなにマスクが珍しいのか。まあいい。
私は、心の中で呟きながら家路を急いだ。
ただいま。
玄関で言って靴を脱ぎ、部屋にカバンを置いて手を洗いに洗面所に向かった。そして、驚愕した。
そこには、喉元までずらしたマスクの上に、さらに口元にマスクをしている愚かなオヤジが鏡の中に、ボーっと、つっ立っていた。
そうか、みんな、これを見て笑っていたんだ。なんと愚かな。これは、考えようによっては、社会の窓が空いているよりも、ずいぶん恥ずかしいことかも知れない......。
私は、1分くらい経ってようやく我に返った。そして静かに蛇口のレバーをおろし、水を出して手を洗い始めた。
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