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新興住宅地出身者のジレンマ

はじめに


このnoteでは、盛岡市紺屋町に建設予定のマンションについても触れてきましたが、

最近、岩手山と岩木山を取り違えた事例により一躍注目されることとなりました。以下は、自分も含め、このニュースに怒っている人の気持ちを代弁するつもりで書いた記事です。

一方で、このような状況に対して、地元の方からも「山を取り違えたくらいで騒ぎすぎじゃない?」という意見を聞きます。実は、自分もその気持ちを良く分かります。一つの理由は、自分が新興住宅地出身だからだと思います。

1. 新興住宅地出身者のジレンマ

私の実家は盛岡北西部の新興住宅地にあります。したがって、自分は盛岡中心部に住んでいる「街の子」を羨望のまなざしで見ていたように思います。何せ、当時(1970~80年代)は(東北6大祭のひとつの)さんさ踊りでさえ「街の子」のお祭りで、新興住宅地の人は原則として地域代表としては出場できなかったと記憶しています。自分の友人の中にはさんさ踊りは小さいころから地域で毎年ずっと出ているという者も、盛岡中心部に親子三代住んでいるという者もいて、それを羨望と妬みが入り混じったような気持ちで見ていた記憶があります。

そんな自分から見ると、実は、盛岡中心部にずっと住んでいる方は、この気持ちに対して無自覚だと感じることがあります。先日SNSで「今は新興住宅地出身の人はあまり盛岡中心部を歩いていないのではないか」と書いたときに、「上田や茶畑に住んでいた自分も普通に街を歩いていた」と返信をくださった方がいらっしゃいましたが、上田や茶畑は盛岡中心部に隣接しており、徒歩でも自転車でもすぐに中心部に行けるので、車でないと中心部に行けない場所に住んでいた私にとっては十分に「街中」なのです(盛岡市内の土地勘がない方にはローカルな話題で恐縮です)。もちろんこの方が善意で声をかけてくださったことは良くわかりますし、非難するつもりは全くありませんが、自分のような新興住宅地に住んでいる人間は、もしかしたら中心部に住んでいる方から「不可視化」されているのではないかもしれないとどこか寂しく感じました。

2. 新興住宅地出身者は今どこへ

それでも私が盛岡中心部に思い入れを持っているのは、子ども時代に家族で良く来ていたことと、高校時代に自転車で来ていた経験があったことが大きかったと思います。

以前も書いたように、自分の子ども時代は、盛岡中心部(特に肴町付近)は盛岡一の繁華街だったため、その辺りに行くことは「盛岡に行く」と言い、家族みんなで(肴町に当時あったデパート)エンドーチェーンや中三に行くのが週末の楽しみでした。また、高校時代に自転車通学だったので、中心部なら学校帰りにどこでも行けました。これらの経験があったからこそ、中心部の一つである河南地区に住もうと思って現に今住んでいる訳です。

ひるがえって、このような経験をする人は、現在どれだけいるでしょうか?たぶん、大幅に減っていると思います。特に大きいのは、イオンなどのショッピングモールや大型店が増えたことで、私にとってのエンドーチェーンの思い出はイオンの思い出に変わっているのではないかと感じます。以前は、家族で買い物に行くなら普通に肴町(あるいは大通り)に来ましたが、現在はイオンに行くでしょう。私も今実家で子ども時代を送っていたら、残念ながらまず肴町には来ないと思います(変化の兆しも見られますが、それについてはまたの機会に)。SNSでは同じような好みを持つ方が集まりやすいので、私のように新興住宅地出身で盛岡中心部に思い入れを持つ人もすぐ見つかりますが、おそらくそれは必ずしも大多数とは言えないように思います(もちろん正確な状況を把握したいならきちんと調査するべきです)。

このような方に「盛岡中心部(特に河南地区)に思い入れを持ってくれ」と言っても、そもそもほとんど行ったことがない以上、率直なところかなり厳しいのではないかと思っています。本業で学生世代の若者に「紺屋町に行ったことがあるか」と聞いてみましたが、その場にいた10人中半分くらいが盛岡出身だったのにも関わらず、基本的に行ったことがある人はゼロでした(1人、喫茶店に行くのが好きというのでたまたま最近行ったという岩手県外出身者がいました)。このような生活を送っているのであれば、紺屋町にマンションが建つと言われても、「ふーん」という感想にしかなり得ないのではないかと思いますし、本当はみんなにとってとても価値があるはずのものを守りたいという善意による行動だったとしても、ああまた「意識が高い」人、「盛岡中心部にずっと住んでいる」人が何か言っているなと思われるかもしれません。なお、この話題を他の場所でも触れたとき、やはり県外出身者の若者が「紺屋町はとても雰囲気がいいので、この素晴らしい場所にマンションが建つのは景観上問題があると思う」と言ってくれましたが、地元出身の学生世代は一概に反応は鈍いです。現実としては、盛岡に長く住んでいる人より、修学旅行などで盛岡を訪れた人の方がずっと盛岡の景観に思い入れを持っている可能性もあると思っています。

したがって、かつて大イチョウ伐採中止の署名が瞬時に集まった50年前と比較すると、同様の訴えをするときに「盛岡中心部の景観は素晴らしいものだ」という前提自体を共有していない方もかなりいらっしゃることは念頭に置かないといけないように感じています。

3. ではどうすればいいのか

このようなことを書いたのは、新興住宅地出身でかつ盛岡中心部に思い入れを持つ人間でなければ見えない視点があると信じているからで、もちろん、誰かを批判するためではありません。

状況を変える方法の一つは、単純に、盛岡中心部に来る経験を増やすことでしょう。修学旅行で来る中高生が多いことから分かるように、盛岡中心部は歩きやすいので、修学旅行でなくても、小学校・中学校でバスを借り切って、歴史文化館を見るだけでなく、そこでいったん解散して自由行動とし、1日街を歩く機会を作るだけで良いのではないかと思います。直接の知人を含め、盛岡に修学旅行で来て楽しかったという話は良く聞くので、盛岡の子どもたちでも楽しいと感じる人はそれなりに多いと思いますし、地元の文化も学べるので一挙両得です。また、ちょうど「紺スタ(紺屋町スタンプラリー)」のある5~6月頃に合わせると、一緒にスタンプラリーも楽しめるかもしれません。ほかにも、盛岡市内中心部では、サケの放流などいろいろな取り組みが行われていますが、イベントに家族が子ども連れでもっと来やすくなるように、駐車場への補助を出したり、特定の目的に対しては公共交通運賃を割り引くなどの方法も考えられると思います。

さらに、子育てを終えて少し余裕ができた夫婦が中心部でのんびり過ごしやすくなるような機会を提供するのも良いと思います。上に書いたような割引もそうですが、単純に、葺手町や紺屋町、桜山など、既存の個人店でゆっくり過ごせるチャンスがあることをもう少しアピールするだけでも良いかもしれません。

繰り返しますが、かつて盛岡中心部(特に肴町周辺)が唯一の繁華街だった頃は、このような努力をしなくても、盛岡中心部に自然と人が集まったと思います。しかし、現在はこのような努力なしで自然に人が集まるとまでは言いきれない状況になっているように思います。また、「分かる人だけ分かればいい」「今の子どもたちはいろいろな誘惑があるから盛岡中心部に集まらない」というのも必ずしも正解ではなく、環境が整えば若者も普通に盛岡中心部に来る可能性は十分にあるように感じます。現に、ニューヨークタイムズの記事が出た後は、デートコースとして認知されたようで、明らかに盛岡市中心部の赤レンガ館周辺を歩く若者の姿が増えました。こういう経験をした人の中には、「実際に来てみたが、思っていたほど良くなかった」と思う人もいるでしょうし、それでも全く問題ないと思います。でも、こういう経験をする人が増えれば、長期的には、街並みや景観に対する理解者も増えると思いますし、逆に、長期的に地域の街並みや景観、文化を守っていきたいのであれば、こういう機会を増やしていかなければいけないように感じます。

おわりに

実は、「新興住宅地出身でありながら、盛岡中心部に思い入れを持っている」というポジションはあまり心地の良いものではありません。盛岡中心部に住んでいる方の気持ちも、新興住宅地に住んでいる方の気持ちも想像できてしまうため、無駄に疲弊することがあるからです。自分も親子三代盛岡中心部の育ちだったら楽なのになあと冗談半分で思うこともあります。しかし、盛岡中心部の文化・景観を残していくためには、新興住宅地に住んでいらっしゃる方の力も借りる必要があると思いますし、そうしないと、今後ますます困難な状況に直面するような気がしています。また、ずっと中心部で暮らしていた方には「外」の暮らしは想像しにくいため、こういう視点で考えられるのは、自分のような経験をした人間だけかもしれません。したがって、このような発想は今後も大切にしていきたいと思っています。

なお、以前の記事では、新興住宅地で育った自分が最終的に紺屋町や肴町が近い盛岡市河南地区に引っ越すまでの事情をもう少し詳しく書いています。言葉は少し違いますが、自分の中での結論はずっと変わっていないのかもしれません。


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