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「岩手山」と「岩木山」を間違えただけで怒っている訳ではない


はじめに

盛岡市紺屋町の14階建てマンション、レーベン盛岡紺屋町については、このnoteでも2024年2月から継続して注目しています。

このマンションですが、先日、広告で「岩手山」と「岩木山」を取り違えながら「岩手山ビュー」を謳うという前代未聞の事態が発生してしまいました(以下の記事は、この件について従来から丹念に取材してきた河北新報さんのものです)。

これで、このマンションの建設計画に注目が集まり、今回の件を初めて知った方を含め、多くの方がディベロッパーの姿勢に疑問を抱き、批判も強まっている訳ですが、「山を取り違えただけでそこまで怒ることではないのでは」という意見も聞こえてきます。そこで、今回は、「そこまで怒ることかどうか」について書いてみます。個人的には、めちゃくちゃに怒りましたので、その理由を描くことにします。

1. 岩手山は岩手県・盛岡周辺地域のアイデンティティーである

私がいちいち挙げるまでもなく、岩手山は、数多くの文学・美術作品のモチーフとして取り上げられる岩手県のシンボルです。多くの小中高校の校歌で歌われ、学校の授業や趣味で岩手山をスケッチしたという方もいらっしゃるでしょう。そして、宮沢賢治や石川啄木など文学作品にも取り上げられていることはご存じだと思います。特に有名なのは、石川啄木の以下の短歌かもしれません。

ふるさとの山に向ひて
言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな

石川啄木「一握の砂」

旧制中学校を中退し、函館で成功しかけながら大火で全てを失い、晩年は極貧生活を送るなど、波瀾万丈の人生を送った石川啄木が「ふるさとの山」を見て感じた「ありがたきかな」の気持ち、おわかりいただけるでしょうか。ちなみに、この歌に挙げられている「ふるさとの山」は岩手山という説と啄木のふるさと渋民村(現盛岡市渋民)に近い姫神山という説があるようですが、どちらも含んだ全ての「ふるさとの山」だと解釈するのが素直かもしれません。つまり、岩手に住む人の中では、自分の故郷から見える山が一番だ、いや自分のところが一番だというように、思い入れを持っている山(の一つ)が岩手山だということです。

実際、岩手山についても、盛岡の中心部から見たときの形だけでなく、西側の雫石町方面からの形と北の八幡平市方面からの形がそれぞれ大きく違い、みんな口には出さないものの、自分の家から見える岩手山が最もかっこいいと思っているわけです。そんな山を取り違えたのが今回の件だったわけで、個人的には激怒する気持ちはよく分かります。

一方、岩木山は青森県のシンボル的な存在であり、岩手山同様愛されると同時に信仰の対象ともなっています(岩手山神社も岩木山神社もあります)。今回、いち早く事態を認識してタカラレーベンに抗議した盛岡市の担当課長は青森県出身で、もちろんひと目見て岩手山と岩木山を取り違えたことに気づいたようですが、今回の取り違えは青森県の方にとっても失礼なことは間違いありません。

2. 岩手山の区別がつかないくらい地域の文化・景観に興味がない企業が開発を行っている

こんな岩手山ですので、もし、広告作成やチェックの過程に岩手県にゆかりがある方が関わっていたら、絶対に表に出る(しかも何万部も印刷して配布する)はずはありません。なんせ、ひと目見ておかしいことはわかる訳で、「あっ、これ間違ってますよ」で終わりですから。この広告が世に出るまでには何段階ものチェックを通っているはずですから、つまり、このプロジェクトには、岩手山の区別がつく程度に理解がある人は誰一人関わっていなかったということです。

このような間違いを犯し、ニューヨークタイムズ「2023年いくべき52か所」で取り上げられた地域の一つである紺屋町の景観を(あえて強い言葉で書きますが)「ぶち壊し」にしておきながら、広告では「清流のほとり」「歴史的情緒」「岩手山ビュー」を売り物にするとは率直に言って悪い冗談にしか思えません。つまり、レーベン盛岡紺屋町は、岩手山に代表される地域の文化や景観に全く興味のない人の、全く興味のない人による、全く興味のない人のためのものでしかないことが取り違えの件で改めて露呈したように感じるのです。強い言葉をあえて使えば、他人の文化を望まない形で勝手に改変して自分だけ利益を享受する「文化の盗用」にすら当たる可能性があるように感じます。そして、これは私だけでなく、多くの人の気持ちだったと思います。マンション開発は、必ずしも地元企業が手がけるわけではないため、もともとそういう面があったのかもしれませんし、それが結果的に(どんな意味であれ)地域の発展につながるなら必ずしも否定はできないかもしれません(そして、全国規模のディベロッパーでも地域の景観や文化に一定の敬意を持って開発を行っているところもあると思われます)が、後述するように、絶対にやってはいけないところでこのような過ちを犯してしまった訳で、火に油を注いだ形になったことは間違いないと思います。

「たかが山」という気持ち、また、「山を取り違えただけだから謝って今後同じ間違いをしなければいい」という気持ちであれば今後何度でも同じ誤りは繰り返されるでしょうし、おそらく根本的な解決にはならないと思います。

3. もともと問題があった建設計画にさらに泥を塗るような行為だった

前述したように、もともとレーベン盛岡紺屋町の建設計画については問題が多く、ディベロッパーのコンプライアンスや良識が問われるような状況であることは間違いありません(上で挙げた記事を再掲します)。

岩手で一番古い酒蔵の、長く親しまれてきた建物を失っただけでも心は傷つき、そこに景観を大きく変化させる14階建てマンションが建つということで、地域住民の方は大きなショックを受けており、ずっとディベロッパーに要望を出し続けていましたが、漏れ聞くところによるとこれまでのところディベロッパー側の対応はあまり芳しくなかったようです。盛岡の人は我慢強く、怒りを表に出さないため、もしかしたら、先方は「思ったより怒っていないな」と思ったのかもしれませんが、心の中ではものすごい怒りを感じていたはずです(私もその一人ですし、当事者の方の話もたくさん耳にしています)。

そんな万が一にでも間違いは許されない、何度チェックして万全に万全を重ねても足りないという状況の中で今回の取り違い事件が起きたのです。

…完全にコケにされている、と怒るのが自然ではないでしょうか?むしろ怒らない理由を知りたいものです。

おわりに

今回の件が、どんな結末になるのかは、現時点ではわかりません。

しかし、おそらく、どんな結末になったとしても、少なくとも私はこの事件のことを忘れることはないと思います。

この状況をふまえ、ディベロッパーの方、特に経営陣が賢明な判断をしてくださることを心から願っています。

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