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新興住宅地から盛岡市河南地区に引っ越して

こんばんは。今日もお疲れ様です。

以前も少し書きましたが、私は盛岡北部の新興住宅地出身です(今は河南地区に住んでいます)。今日は、そんな自分にとって盛岡がどんな街であったか、それが今どう変わったかを書いてみたいと思います。


1.引っ越す前

自分の子ども時代(1970年代終わり~1980年代)は、週末の楽しみというと、家族で(古くからの商業の中心だった)肴町に買い物に行くことでした。当時の親世代は、肴町周辺に行くことを「盛岡に行く」と言っていましたが、当時の盛岡市民にとって、それだけ肴町の存在は大きかったと思います。このときの移動手段は自家用車でした。駐車場代も安かったですし、家族みんなで楽しむことを考えるとそれほど負担に感じなかったように感じます。

高校時代は、おそらく盛岡の高校生がみんなそうであったように、自転車でどこにでも行きました。家は少し離れていましたが、中心市街地であればどこでも自転車で行ったと思いますし、時には少し足を伸ばして郊外まで行きました。

その後、東京で学生生活を送り、しばらく経ってからまた盛岡に戻ってきました。子ども時代はバスや自転車での移動が中心でしたが、大人になると車中心の生活になります。新しく住んだ場所も郊外の新興住宅地で、家から遠く、車で行っても駐車場代がかかる肴町からは自然と足が遠のきます。2003年イオンモール盛岡(前潟)や2006年イオン盛岡南ショッピングセンターの開業やとともに、肴町にはあまり行かなくなりました。

この時期がしばらく続きます。

しかし、少しずつ転機は訪れます。もともと、英会話学校で肴町付近に通っていましたが、気がつくと、通院している病院も肴町付近、良く行くカフェも肴町付近ということで、駐車場代をかけてわざわざここまで来るくらいなら、この付近に引っ越した方が良いのではないかということになりました。とんとん拍子で話が進み、その数年後、コロナ禍のさなかに引っ越すことになります。

3.引っ越し後

引っ越す前から既にそうでしたが、引っ越してからさらに肴町を中心とした河南地区全域に行くようになりました。

それまでと大きく変わったのは、そこに住んでいないとできないことをするようになったことです。

一番大きいのは、用事を足すついでに気楽にアルコールを飲んで帰れるようになったことです。それまでは、駐車場代や運転代行代が気になり、街中に気軽に飲みに行くことはできませんでしたが、今の家では、歩いて街中に行き、ふらっとお店に入って一杯飲んで帰るということが簡単にできます。

また、街中のイベントもより楽しめるようになりました。さんさ踊りは、私の子ども時代は「街の子のお祭り」で、新興住宅地出身の自分にはあまり縁がないものだと思っていましたが、今は歩いてちょっと覗いて飽きたら帰るというように、もう少し気楽に見るようになりましたし、紺屋町スタンプラリーや八幡宮での様々なイベントも気軽に参加できるようになりました。

長年盛岡に住んでいながら、引っ越し前は、(観光ガイドブックに必ず掲載される邸宅である)南昌荘にはほとんど行ったことがありませんでしたが、今は季節ごとのイベントに合わせてぶらっと見に行くようになりました。これは以前の生活からは全く考えられなかったことで、少し大げさな言い方をすると、新興住宅地に住んでいたときとは「全く別の街に住んでいる」ような感覚です。

4.新興住宅地のことも考えると盛岡はもっと楽しく過ごせるはず

こういう経験をした自分だから言えると思うことは、盛岡の街づくりをする上で、もっと郊外や新興住宅地のことを考えることも必要なのではないかということです。

上にも書いたように、さんさ踊りは、私の子ども時代は「街の子のお祭り」という印象でしたが、現在は、盛岡全体のお祭りになりました。新興住宅地出身の私としては、今は、これを祝福する気持ちが勝っていますが、かつては、何となく自分が仲間外れにされているような寂しさも同時に感じていました。

また、中心市街地に住んでいると、毎週と言って良いほどイベントがあることに気づきますが、かつては、これらはほとんど目に入りませんでした。情報自体が入らないこともありますが、知っていても、時間と駐車場代をかけてまで行く気にならず、何度もやり過ごしていました。

紺屋町や鉈屋町などの古い街並みが残っていることはもちろん知っていても、新興住宅地に住んでいたときは、子ども時代と比べると訪れる頻度は大分下がりました。私のような子ども時代を送った人間ですらそうだったわけなので、イオンモールで子ども時代を過ごした人が古い街並みに愛着を感じることは簡単ではないでしょう。

そういう意味では、郊外からも中心市街地に来やすくするよう、公共交通を充実させたり、バス代や駐車場代の割引(補助)をしたりすることも一つの方法だと思います。また、イベントに子ども世代や子連れの家族が参加しやすくしたり、ベビーカーを押して移動しやすい街並みを作るのも良いかもしれません。

このような工夫をする上で、ニューヨークタイムズの記事や昭和レトロブームは追い風になるに違いありません。なぜなら、2023年に記事が公表されてから、旅行者はもちろん、それまであまり見かけなかった、おそらく地元の高校生や大学生くらいの世代の人を多く見かけるようになったからです(最近は、盛岡八幡宮やレトロなカフェでデートをしている若い世代も良く見かけます)。子連れの家族も心なしか以前より多く見かけるようになりました。

盛岡の街づくりをされている方々には、親子三代河南地区に住んでいるというような、長く街を見続けた方が多いように思います。もちろん、それはとても素晴らしいことですし、その力が頼りになるのも事実ですが、その視野の中に、かつての私のような新興住宅地に住む子どもや、その家族の姿もぜひ入れてほしいと思う次第です。

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