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社会問題と我が身可愛さ

飢餓・貧困、エネルギー、気候変動……その他諸々、世界には様々な社会問題が存在する。

これら社会問題の解決について、自分のスタンスは「気が向いたら協力するけど気が向かなかったら協力しない。社会問題の解決よりも自分が楽しく幸せに暮らすことの方が大事」だ。

なんて酷い奴だと思う人もいるかもしれないが、自分はこのスタンスを当たり前と考えている。そして、これが「酷い」のだとしたら「酷くない」人間など存在しないと思っている。

なぜなら、我々の生活にはほぼ例外なく「余剰」があるからだ。
広い・駅近などいいところに住んだり、快適さのためにエアコンを使ったり、オシャレしたり、余暇に趣味やイベントを楽しんだり、コーヒーで一服したり、ちょっと贅沢して美味しいものを食べに行ったり、割高なコンビニで買い物したり、将来に備えて貯金したり——。

自分が楽しく幸せに暮らすことよりも社会問題の解決が大事だというのなら、そんなことをするはずがない。あり得ないだろう。

なぜ余暇に社会問題の解決に取り組まないのか?というよりもなぜ「余暇」があるのか?なぜ生活水準を下げないのか?なぜ浮いたお金や貯金していたお金を社会問題の解決に使わないのか?そもそも自分が生きていることによる環境負荷はいいのか?

余剰の時間、労力、お金でできることがあるのに、そうしない。ほぼ全財産を差し出すことも、ほぼ全ての時間と労力をボランティア活動などに注ぎ込むことも、文字通り命を捧げることもその気になればできるのに、そうしない。
「自分が提供していいと思える程度のリソース」を恣意的に設定している。これは自分のスタンスと変わらない。

さらに、圧倒的に男性が多い自殺問題で女性支援に特化したり、今日明日生きるか死ぬかという飢えた人よりもLGBTの権利のため活動したり、路上でホームレスではなく捨て猫に手を差し伸べたり——。

もちろん全ての社会問題に気を回すのは無理だろうし、それぞれが最も重大と考えるものや関心のあるものに注力することにはなるのだろうが、活動内容や支援対象についても各位の恣意的な「気が向いた」ものとなっていることは否めない。これも自分のスタンスと変わらない。

以上から、自分は「気が向いたら協力するけど気が向かなかったら協力しない。社会問題の解決よりも自分が楽しく幸せに暮らすことの方が大事」は全ての人に共通するスタンスだと考えている。

政治家も、各種活動家も、NPOの人も、ボランティアも、自分のような一般人も、ホームレスも、反社も、犯罪者も同じ。なんだかんだでみんな自分が一番可愛いし、恣意的な選択をする。

※一応「ほぼ例外なく」の例外たる「『余剰』がない人」についても言及しておくと、このような人は自身の生存に手一杯であり、やはり「気が向いていない」、「社会問題の解決よりも自分が楽しく幸せに暮らすことの方が大事」なのだと考える。


とはいえ、自分は別に社会問題ガチ勢(?)を偽善者などと罵るつもりはない。良い悪い関係なく「そういう原理」なのだというだけ。
まあ、社会問題ガチ勢(?)も自覚はしておいた方がいい気がする。さもなくば、他者に協力を強要したり、「世のため人のため」「誰かのため」などと勘違いして思い上がったりしてしまいそう。

(参考:過去記事)

全ての人に共通すると述べたように、ここまでの内容は自らをかえりみてのことでもある。筆者としても自分が一番可愛いし、恣意的な選択をする。そしてそれを善いとも悪いとも思っていない。

これからも自分は、自分が一番可愛いのは前提として、自分が楽しく幸せに暮らすのを優先しつつ、気が向いたら、気が向いた対象や気が向いた内容で社会問題の解決に協力していきたい。

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