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ニュー・ノーマル前夜の情景③

3.情報通信技術とネットワークの進化

 その一方で,この30年間に世界の社会的構造変化を引き起こしたもう一つの要因は,情報通信技術(ICT)の進歩と,それに伴って高度化したさまざまな機器や情報インフラ,そしてAI(Artificial Intelligence)の登場など「情報通信技術とネットワークの進化」である。

(1)IT革命とネットバブルの崩壊

 1980年代半ば以降デジタル化が急速に進む中で,半導体の高集積化によるメモリー量の増大とCPUの処理速度の高速化によって処理能力が高度になった。そして,1990年代になるまでに情報ネットワークの基盤が産業ベースでも確立しつつあった。当時,それは一種のブームにもなり,バズワードである「SIS(Strategic Information System)」という言葉まで生まれた。そうした動きを背景に経営学の世界でも,「三大経営資源(人・もの・かね)」が「四大経営資源(人・もの・かね・情報)」に格上げされた。
 また,1990年代初頭にはパーソナル・コンピュータ(PC)が先進国を中心に一般市場にも出回るようになり,直販体制のビジネスモデルを展開した米DELL社の登場などでPCの価格破壊が起こり,消費市場でのPCのコモディティ化が一挙に進んだ。同時に,1965年米インテル社の創業者ムーア(Moore, G. E.)が提唱した法則がより顕著になった結果,あらゆる情報関連機器の価格は,その性能と反比例して年率30~40%程度で下落し続けていた。いわゆる「チープ革命」である(注12)。
 さらに米国でインターネットの民生化が認められると,一般市場でもそれが急速に広がりをみせるようになった。1995年,わが国でもインターネットが本格的にスタートする。米マイクロソフト社が発売した「Windows95」が追い風となって普及率も大幅に伸長した。2年後の1997年にはわずか9.2%に過ぎなかった普及率は,パソコンの高性能化と低価格化に加えて,ISDNや光ケーブルなどの通信インフラが国家政策の後ろ盾の下で短期間に改善された。その結果,2005年までには約70%になっている(注13)。
 こうして商用ベースでの利用が可能になって市場に普及すると,米国を中心に1990年代後半までにインターネットを活用した新規ビジネスを披瀝するさまざまなIT企業が次々と登場し,その事業実態や業績に関係なく投資対象となった。黎明期に登場して株式市場に活況をもたらしたネット企業の多くは,投資家にとってあたかも「金の卵を産む雌鳥」の如くで,現実化していないビジネスでも投資を煽り,スタートアップ企業の巨額な資金調達を可能にした。急拡大の様相を呈していたインターネット市場は,それほどまでに投資家にとっては魅力的なものであったのである。しかし,すべてのスタートアップ企業が金の卵を産むわけではない。2000年になると,事業実体を伴わない多くの企業が市場からの撤退を余儀なくされた。その結果,ITバブルが弾け,世界経済は不況に転じてしまった。いわゆる,「ネットバブルの崩壊」である。いうまでもなく,一部の堅実な企業は生き残った。その代表的な企業こそ,「GAFA」と呼ばれるプラットフォーム企業群である(注14)。
 因みに,新ビジネスの規模が小さくITバブル崩壊の影響が米国ほど大きくなかった日本では,当時インターネットが普及する一方で,「ガラケー」と呼ばれる携帯電話(フィーチャーフォン)の普及率が90%を超え一大勢力となっていた。「ガラパゴス現象」と椰楡されることの多い日本製携帯電話である。情報通信はNTTドコモ社が1999年に開発した「iモード」が高い利便性で人気を博して,若者層を中心に一挙に広がり生活必需品としての地位を確立していた。わが国では,インターネットと携帯電話という二つの情報デバイスが別々に進化を遂げていた。その点では,PDA(Personal Digital Assistant)(注15)が一般的でインターネットと通信デバイスが共進化してきたグローバルスタンダードと異なった,やや歪な形で日本のネット社会は進化していたといえる。

(2)進化するインターネット社会

 ともあれ,ITバブル崩壊を乗り切り不動の地位を確立するようになったのが,「GAFA」である。情報検索サービス会社として起業した米グーグル社(Google),1970年代半ばに創業されたIT業界の老舗企業であるアップル社(Apple),ソーシャルネットワークサービス(SNS)として起業したフェイスブック社(Facebook),オンライン書店として起業したアマゾン社(Amazon)の4社である。いずれの企業も,創業間もないスタートアップ期に起業した事業を核にして,莫大な時価総額を手にしたアントレプレナーがトップマネジメントとして成長に導いた企業である。これら企業は起業当初展開してきたコアビジネスこそ異なるが,コアテクノロジーはICTであり,それをベースに独自のビジネスモデルを考案して巨額の利益を生み出し,M&Aを駆使することで事業ドメインを拡大しながら成長を確保してきた。今日,これら企業の時価総額の合計はおよそ560兆円で,英国の国家予算に匹敵すると言われている(注16)。

図表8 GAFA の業績比較(売上高推移)

図表8

図表9 GAFAM の企業規模(時価総額)

図表9

 「プラットフォーム・ビジネス」(注17)と呼ばれるビジネスモデルは,今やGAFAを中心に巨大市場となり,ネット社会の進化スピードをさらに加速させることになった。それに拍車をかけたのは,IT老舗企業のアップル社が米国市場を皮切りに上市したスマートフォンiPhoneである。スマートフォン(スマホ)の登場は,携帯電話とPCという二つの情報デバイスの機能を一体化したことによって,いわゆる「ユビキタス・コンピューティング(注18)」を体現することになった。アップル社は年に一度のハードウエアのモデルチェンジと,専用OSであるiOSのバージョンアップを頻繁に行うことによって機能を強化すると同時に,専用で動く数多くのアプリケーション(アプリ)を提供することによってスマホ市場という新しいマーケットを創造したのである。
 翌2008年から世界市場で販売されて前代未聞のヒット商品となったiPhoneは,ファブレスメーカーのアップル社に大きな収益をもたらしたのは当然であるが,それを利用するユーザーにとっても計り知れない便益を与えた。その上,多くのIT企業にビジネスチャンスを与えることになったことはいうまでもない。ただし,iPhoneのアプリや,それに装備される機器やアクセサリーを提供する全てのメーカーは,アップル社との厳密な契約に縛られ,同社のデファクト・スタンダード戦略の下に傅くことが求められた。
 これに対抗したのが情報検索エンジンの雄のグーグル社である。2007年にオープンソースのスマホ専用OS,「Android(アンドロイド)」を開発し,翌年にはそれを搭載したスマホが発売された(注19)。自国市場にもかかわらず米国企業に市場を奪われ,時としてその下請け企業の存在に甘んじていなければならなかった,中国の小米科技社(シャオミ)や華為社(ファーウェイ),韓国のサムソン社やLG社,そして日本メーカーのソニー社などがオープンソースのアンドロイド陣営に参集した。結果的に,2020年段階でスマホのOS市場に新参者が参入する隙間はなく,「iOS vs Android」の二強の戦いとなっている。

図表10 スマホ用OS の世界シェア(2019)

図表10

図表11 スマホメーカー別市場シェアトップ5

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 急速に普及したスマホは,万民にインターネット利用のチャンスを与えるツールであり,極めて利便性の高いコミュニケーション・ツールである。情報へのアクセスはもちろんのこと,経済取引をも多様なものとして,B2C,B2B,C2Cの関係や,生産者と消費者,生産者と生産者の関係を多元的なものとした。また,それに乗じて,SNSが人と人との共同作業やコミュニケーションの幅と深さに大きな変化をもたらした。われわれの日常生活や社会活動を制限してきた時間的・空間的な制約条件を打ち破り,コミュニケーション革命を実現したともいえる。
 こうして進化を遂げる情報ネットワークを米ジャーナリストのフリードマン(Freedman T. L.)は,「フラットな世界のプラットフォーム」と呼び,それが引き起こした変化を次のようにいう(注20)。
 「フラットな世界のプラットフォームは,パソコン,光ファイバー,ワークフロー,ソフトの発達といったものが集束して生まれた。その集束は誰も予測しなかった。(中略)世界中の人々が,ある日突然,個人としてグローバル化する絶大な力を持っていると気づいた。世界中の個人が競い合っているのを,これまで以上に意識しなければならなくなり,しかもただ競い合うのではなく,協力する機会もまた飛躍的に増えた(注21)。」
 スマホというデバイスを含めた情報インフラの進化は,さまざまなサービスを生み出し市場構造を変えてきたことはいうまでもない。そして,その進化がこれからも継続していくことは確実である。例えば,魅力的なサイトを立ち上げ一人でも多くの人を集客し,できるだけ長くそこに留まってもらうことを目的としたインターネットの活用から,不特定多数の人々が参加しサービスの受動的な享受者ではなく,能動的な表現者,サービスの提供者となることができるようになったのも,あるいは,個人情報保護に抵触することなくビッグデータとして情報を収集・分析することによって,従来では不可能であった方法でマーケティング活動が行われるようになったのも,多くの人々がスマホを所有しネットにアクセスするようになったからである。さらに情報インフラの進化は,スマートシティ構想によって街を変え,ドローンによる配送やSCMなどロジスティックスの常識を変え,電子マネーの登場によって資本市場を変え,ギグエコノミー(注22)やリモート・オフィスのように働き方までも変えている。
 こうした流れについていけない企業があるとすれば,それは即刻市場からの退出を求められることにもなる。また,かつてはデジタル・デバイドと呼ばれ,多少の不便を受ける弱者として社会から守られていた個人も,もはや守られることを期待することはできなくなりつつある。それどころか,そうした人々は社会と隔絶されるか,あるいは放っておかれ,そして仮に3世代以上当該技術の進歩から遅れてしまうと,キャッチアップするチャンスすら与えられないかもしれない。

(3)指数関数的変化の到来

 さらに,ICTの進化は,人工知能(Artificial Intelligence: AI)を社会の表舞台に登場させた。自動学習力をもつAIは,データを取りこむことによって,認識能力や判断能力を自動的に向上させることが可能である。パターン認識など,コンピュータが最も苦手としていた分野の能力を飛躍的に向上させることができるようになった。また,自動学習には「ディープラーニング(深層学習)」と呼ばれる機械学習の手法が用いられるようになった。しかも,ITデバイスの進化と普及に伴って,ビッグデータが容易に入手できるようになったことから,それを用いることで,AIの能力が大幅に向上した(注23)。というのも,機械は人間や他の動物のように経験から類推する力がないので,まれにしか現れないさまざまなパターンを含む大量のデータから,対応すべき対象の多様性を学習させる必要があるからである(注24)。
 その能力の高さは,2016年3月,囲碁ソフトの「AlphaGo(アルファゴー)」が囲碁の世界チャンピオンであった韓国のイ・セドルに勝利したことで一般にも広く知られるようになった。「僕はAIが人間を打ち負かすまで到達していないことを示したいと思う(注25)」と語っていたチャンピオンを,アルファゴーが4勝1敗で破った。他方,かつてコンピュータの力が及ばないと考えられてきた音楽や美術といった芸術の世界にも,AIは踏み込んでいる。要するに,創造的な仕事は人間のみに許されたものであり,まして機械であるコンピュータにそれを処理することはできないと言い伝えられてきた常識は,今や伝説になってしまった。
 発明家で未来学者であるカーツワイル(Ray Kurzweil)は,「人間が生み出したテクノロジーの変化の速度は加速していて,その威力は指数関数的な速度で拡大している。(中略)変化の軌跡を注意深く見守っていないと,まったく思いもよらぬ結果になる(注26)」と警鐘を鳴らし,2040年の「シンギュラリティ(技術的特異点)」の到来を予知している。確かに,機械の能力が人間を上回り,機械が人間を支配するかどうかについては疑問が残るし(注27),シンギュラリティに対して否定的な意見を述べる研究者も少なくないことも事実である。
 しかしながら,「グローバリゼーションの進展」と同様に,「情報通信技術とネットワークの進化」が創出する大きなエネルギーが,われわれの社会を指数関数的に変化させる可能性のあることについては確信がある。

注釈

12) 梅田は,「次の10年への三大潮流」として,「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」をあげている。梅田望夫,『ウェブ進化論─本当の変化はこれから始まる』,ちくま新書,2006年に詳しいので参照。

13) 総務省|平成29年版情報通信白書|インターネットの普及状況 soumu.go.jp

14) わが国や欧州で主に言われる略語である。これら4社にマイクロソフト社を加えて,「GAFAM」と呼ばれることもある。

15) PDAとは携帯情報端末のことであり,スケジュール,To Do,住所録,メモなどの情報を携帯して扱うための小型機器である。一部では,通信機能を備えたものもあった。

16) 日本経済新聞社2020年5月9日朝刊に詳しいので参照。

17) プラットフォーム企業とは,複数のユーザーグループや消費者と,プロデューサーの間での価値交換を円滑化するビジネスモデルを持つ企業のことである。

18) ユビキタスの意味は,「どこにでもある」という意味であり,コンピュータの機能がどこにでもあるということは,「ユビキタス・コンピューティング」と呼ばれている。

19) 2007年11月5日携帯電話用ソフトウェアのプラットフォームであるAndroidを,Google,米クアルコム,独通信キャリアのT-モバイル(T-Mobile International)などが中心となり設立した規格団体「Open Handset Alliance」(オープン・ハンドセット・アライアンス,OHA)が発表した。無償で誰にでも提供されるオープンソースソフトウェアであり,サードパーティのベンダーが独自にカスタマイズしやすくすることを目的として,ApacheLicense2.0に基づいて配布されている。2008年10月からは対応するスマホが多数販売されている。

20) ただし,『フラットな世界』が刊行されたときには,まだスマホは上市されていなかった。ここでの指摘は,ネット社会の初期の段階を示している。

21) 「フラット化する世界〔増補改訂版〕(上)(下)」,伏見威蕃(翻訳),日本経済新聞出版社,2008年に詳しいので参照。

22) ギグエコノミーとは,インターネットを通じて単発的な仕事を請け負うエコシステム。例えば,米ウーバー社などが挙げられる。

23) 野口悠紀雄,『「産業革命以前」の未来へ―ビジネスモデルの大転換が始まる』,NHK出版新書(Kindleの位置No.1597-1605),NHK出版Kindle版に詳しいので参照。

24) 安宅和人,『シン・ニホンAI×データ時代における日本の再生と人材育成(News Picksパブリッシング)』,(Kindleの位置No.380-382),株式会社ニューズピックス,Kindle版に詳しいので参照。

25) 前掲書,Kindleの位置No.248を参照。

26) 『シンギュラリティは近い』,NHK出版,2016年,p.12に詳しいので参照。


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