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この季節に思う、戦争と自分という存在のこと

※今回の内容はちょっと重いです。苦手な方はUターンお願いします。

今年も、戦争と平和について語られる季節が近づいてきました。多くの人や物が犠牲になり、今も苦しむ人が大勢いることは周知の事実。「戦争反対」と言うだけなら簡単です。しかし、自分には単純にそうも言えないような、複雑な思いがあります。

結論を先に言うと、第二次世界大戦がなければ、自分はおそらく生まれていなかっただろうと思われるからです。

僕は幼少期を、祖父母と両親と3世代が同居する家庭で過ごしました。祖父母は戦争を経験した世代。8月にテレビから戦争の話題が頻繁に流れるようになると、祖母は孫に向けて戦争の話を始めるのがお約束。何度も同じ話を聞かされるけれど、無下に止めるわけにもいかないので、うんうんと聞いているだけでありました。その話によると、こうです。

祖母には2人の兄がいて、体が人一倍に丈夫というわけではなかったが、徴兵検査で乙種合格となった。しかし徴兵に取られることになり、彼らはフィリピン沖にて戦死を遂げた。遺骨を取りに来いと言われて行ったけれども、誰の骨とも分からない骨壺を渡されて――

とまあ、こんな具合の話でありまして、普段は温厚な祖母が、戦争はアカン、と真面目な顔で孫に向かって言うのでした。

その祖父母も亡くなり、僕は社会人になりました。当時はふんふんと聞いていたものでしたが、ある日ふとその話を思い返し、怪訝な気持ちになったのです。もし戦争がなくて、2人の兄が生きていたとしたら、どうなっていたのか。

そもそも、実家は祖母が生まれ育った家で、祖父は近隣の村から婿入り(でいいのかな?)してきたのです。なので、祖父が苗字を変えています。男性側が姓を変えるのは珍しいことだと思われましたので、幼少期から不思議に思っていたものでした(現代ならまだしも、30年前の感覚ですので)。

もし祖母の兄が生きていたとしたら、おそらく長兄が家を継ぐことになったでしょう。そして祖母はどこかに嫁ぐことになります。そうすると、父やそのきょうだいは、生まれていなかったわけです。もちろん孫も。
もし祖父のもとに祖母が嫁いでいたとしたら、場所は違えど父やそのきょうだいは生まれていたかもしれません。しかし、両親は勤務先で知り合った関係で、場所が違えばここの勤務先にいたのかどうかも分かりません。個人的には、その世界線では両親は出会っていなかった可能性が高いと考えています。

先の戦争なしには、自分の存在は無かったであろうということを思い始めてから、かつて祖母が語った戦争の話を思い出し、背筋が凍る思いをしたものです。祖母には可愛がってもらいました。けれども、祖母の死後になって、本当は孫たちが憎かったのでは…?などと、変なことを考えてしまうようになりました。

両親にそのことを話すと「考えすぎだろう」と言われました。確かに、考えすぎかもしれない。戦争という悲惨な運命の中で立ち直り、この年齢まで生きて何人もの孫やひ孫に恵まれた祖母が、そんなことを思うであろうか。失ったものは戻ってこないが、その中でも少なくとも晩年は幸せな人生を送っていたという、ただそれだけのことなのではないか。

まあ、祖母の立場からしてみれば、そうなのでしょう。しかし生まれた側はどうか。戦争は嫌だ、絶対ダメだ、と、戦争がなければ生まれなかった人間が、言ってもよいものなのか。やはりモヤモヤとした感じが否めません。

そんな複雑な思いを抱えながら、また今年の夏も、若くして戦地で命を落とした、祖母の2人の兄の墓を訪れることになるのでしょう。