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羞恥心と生殖から見るゼノブレイド3

Nintendo Switch向けに発売された大作RPG「ゼノブレイド3」は衝撃のシーンから始まる。

混浴しているのだ。男と女が。そしてそれを恥ずかしがる様子もない。
過去のゼノブレイドシリーズではこういったことはなかったぞ。彼らに雌雄差は確認できるが、実際の性別はどうなっているのか? もしかして男女というのはプレイする側の認識に過ぎないのか?
ゼノブレイド3を通底する「ここではないどこか」の感覚はプレイヤーを揺さぶり、興奮させる。

この記事ではゼノブレイド3における羞恥心や生殖の問題について語っていこうと思う。

これからゼノブレイド3のネタバレを含んだ内容になるので注意してほしい。
私のプレイ状況としては約120時間かけてゲームをクリアしているが、いくつか残しているクエストもある。また、あまりの物量に理解が追いついていないところもあると思うので、足りない情報があればコメント欄等で補足してくれると嬉しい。
なお、シリーズ作品である初代ゼノブレイド、ゼノブレイド2にも少し言及する。この2作品についての核心的なネタバレは含まれていないが、気になる方もいると思うので予め書いておく。








まずゼノブレイド3から得られる情報を確認していく。

1話で男性と思われるノア・ランツと、女性と思われるユーニが混浴していた。これが本記事の出発点である。

羽どうやって洗うんだろう

そもそも彼らに男女という枠組みがあるのだろうか?
初代や2では当たり前のように男女が存在していた。2は作品自体がボーイ・ミーツ・ガールと称されている。
初代では翼の生えたハイエンターと呼ばれる種族と、人間のような見た目のホムスという種族の間で子が生まれていることから、各種族の見た目は異なっていても生物学的種概念としては同じであると考える。
つまり、彼らは我々人間と同じように雄と雌が存在する雌雄異体であり、有性生殖を行う生物であろう。
(もちろん彼らの外性器を直接観察した訳では無いので、どのような生殖がなされるかについて断言はできないが……)

ゼノブレイド3は世界観を共通しているということもあり、とりあえず過去作に習って見た目や声質で性別を判断するとノア・ランツ・タイオンは男性、ユーニ・ミオ・セナは女性となる。

そしてゼノブレイドの世界に混浴の文化はなかったように思う。2ではトラがメレフの性別を勘違いして風呂に誘っていたが、メレフはそれを断っているシーンが確認できる。

男装の麗人、メレフさん(ゼノブレイド2より)

なぜ3ではいきなり混浴なのか。しかも冒頭で述べた通り、当たり前に、何も気にすることなく。何かが異なっている、しかしその何かはこの時点では伏せられている。続いて見ていこう。


2話冒頭では男性陣が女性陣の目を気にして着替えている。
それに対してユーニは「何だあいつら そこで着替えりゃいいのに」と語っている。

女性陣は人目を気にせず着替えていた

先程の混浴と一見矛盾する。羞恥心がおかしい。
しかしこの間に重要な出来事が発生している。彼らはウロボロス化して、命の火時計というメビウスによる兵士管理支配システムから解き放たれている。これがキーになってきそうだ。



コロニーガンマのサブクエスト「ノア達の教導・研究編」では、皆の前で服を脱ごうとしたランツをセナとユーニが止める。

無問題

反射的に止めたものの、落ち着いて考えると「特に問題は…… ないかも?」と二人は落ち着く。

このクエストで登場するカムキは命の火時計を破壊されたコロニーでは脱衣所での行動が変化していることも観察している。

カムキ 私 似てる

羞恥心問題とは別に、カムキはこれまで多くの人が気に留めていなかった事実に気づく。ユーニに羽が生えているが他の5人には生えていないことを指摘しているのは鋭い。
彼らは見た目全般に無頓着なのかとおもいきや、ニイナは年が若いことを悟られないように化粧をしているエピソードがあることから、もしかすると彼らの見た目についての価値観は年齢が第一なのかもしれない。


続いて娘、親、大人、子供、出産などの言葉を知らないことが明らかになる。人間以外の、たとえばアルマには子供がいるが、その事実に彼らは気づいていない。

世界全体の常識として彼らは1期~10期という年の取り方をして、10期を迎えると成人の儀を経て女王の元へと還っていくと説明される。1期は1年間だ。

ちなみにノアは9期だが、公式Twitterでは18歳と説明されている。1期が10歳で、10期が19歳と考えると見た目のイメージはプレイヤーにとって理解しやすい。


それぞれのキャッスルには、ゆりかごと呼ばれるカプセルのような装置がある。そこから出ると1期の人間として各コロニーに配置される。成人を迎える前に死んだ人は再度ゆりかごに確認できるようになる。同じ名前と見た目だが、基本的に以前の記憶は持ち越されない。

このようにゼノブレイド3の世界、とりわけ命の火時計の配下にあるコロニーはメビウスの支配により、生命の形が歪められている。


命の火時計とは無関係なシティの女性は出産をしていた。シティの人間は我々プレイヤーの感覚と近く、男女の関係がある。

このシーンのタイオンは作中屈指の萌えポイント


これらの事実から、彼らには元々性別という枠組みが存在するが、命の火時計の支配により多くの認識が阻害されていたと考えられる。命の火時計から開放されると、まるで元々あった羞恥心が見え隠れするかのように振る舞う。

では、なぜ性に対する認識を阻害する必要があったのか?
別の記事でも述べたが、生殖により次世代を残すというシステムがあるということは個体としての死を意味する。
それは、個の永続性を求めるメビウスにとっては急所となりうる。

時が止まれば――
と願ったことはないか?
永遠に"今"が続けばと――

ゼット

よってメビウスは、アイオニオンに住む人々の性別というより、生命システム全般に改変を加える必要があった。
・1期~10期までの限定的な寿命というシステムの構築
・互いの敵を殺し合い命を奪い合うという目的を植え付けること
・その目的以外に対する認識の阻害(とりわけ次世代を残すシステムについて)
・コロニー0に旧世界の遺物を処理させて、過去の知見に触れさせないこと

しかし、メビウスは人々が奮闘し苦しんだりする様子を見て楽しんでいた。人々の感情全部を奪うことは本意ではないだろう。


さて、性についての認識を阻害するが、彼らの生理欲求はどうなっているのだろうか?
我々人間にとって次世代を残すということは、性行為と密接に結びついている。そして性行為が往々にして快感を得られるものであることも忘れてはいけない。生殖へと至る過程を次世代を残す本能の一言で済ませてしまうのはもったいないだろう。

つまり、メビウスの支配下にある人々は性的な快感を得られるのだろうか、という疑問だ。
料理を美味しい思う感覚は存在していることから、性的快感だけを阻害していると考えるのは微妙な気もする。
しかし快感を得られるとすれば、そこに住む人々は試行錯誤の末に生殖まで至ってしまうのでは?
私としては快感を得られないとは思うが、確証に欠ける。ここではこの議論の深追いは避ける。


性に対する認識を阻害していたことは明らかだが、生殖機能自体は失われていないことは注目に値する。エムとエヌはメビウスになる前に生殖し、子供を作っている。その時の彼らは互いの性別を意識していたのかどうか、快感を感じていたかどうかは分からないが、肉体として生殖は可能であることを示している。

そうして子供を作ったエヌだが、寿命を迎えた後に永遠の今を選んだ。時よ止まれと願い、メビウスと化してしまった。
そうなるともはや次世代を残すというシステムとは相容れない。後にエヌが自身の子を「障害」と切り捨てた心境はこの点からも理解できる。

ちなみにブッダも自身の子に障害物という意味の名前をつけた

皮肉なことにその子孫たちの協力もあってノア達はメビウスを打破した。
では、なぜメビウスは生殖能力を消さなかったのだろうか。たとえばゆりかごに入っている状態で卵管や精管に結紮術けっさつじゅつを施し、受精能力を奪っていばメビウス側が勝っていた可能性がある。
技術的に不可能だったかもしれないが、なぜメビウスはその発想に至らなかったのかについて、一つ考えてみよう。

執政官エムはメビウスとなったミオである。エムは人の体を乗っ取る(意識を入れ替える)能力を持つ。6話でエムは自身とミオの意識を入れ替えた。その後、
・ミオの肉体にエムの意識が入っている者が成人を迎えて消滅した。
・エムの肉体にミオの意識が入っている者を皆がミオと受け入れて物語は進んでいく。

この一件から、ゼノブレイド3の世界における考え方はハードウェアよりもソフトウェアが上位に位置づけられる心身二元論だと思われる。

加えてメビウスやウロボロスは四肢を欠損してもコアさえ無事なら修復できることも挙げられるだろうか。さらに、メビウスの頂点に立つゼットに実体はなく、その正体からして精神的だ。とにかく、彼らはその精神性を中心に物事を考えるきらいがあるので、肉体の持つ力を過小評価していたのかもしれない。

そのようなバックグランドに立つ彼らだから、去勢しようとか言い出す私みたいなメビウスはいなかったのだ。彼らの敗因の一部はそこにある。
肉体を蔑ろにした結果、メビウスは負けたのだ。

私がメビウス化し、執政官エッチになっていれば勝負はわからなかった。



以上、色々と考えていたことをまとめてみた。
私は様々な意味で生殖行動の専門家ではないので力不足なところが多々あったように思う。
そもそもアルマとアルドンを雌雄ペアにして雨が降るとすぐに子供が生まれるというぶっ飛んだ世界で、こんなことを考える意味があるのかどうかはわからないが。

さて、羞恥心という点から考えると、ゼノブレイド3は少し惜しいことをしたと思う。それはキャラクターの服装だ。
ゼノブレイド2最大の弱点はホムラとヒカリの露出度が高すぎることだ。年頃の男子と一緒に旅をしているのに、あのような格好をしているのは正気を疑う。
ゼノブレイド3の命の火時計に支配された世界では羞恥心がないので、いくらでも露出度を高くして良い。そして命の火時計から解放されると、次第に自身の格好が恥ずかしくなるというえっちな流れを作ることができる。
もっとも、戦士がその格好をする合理的な理由は必要だが……。まあ、露出度が高いことが勇敢さを示しているみたいな名目があればなんとかなりそうだ。ペニスケース1丁で戦うタイオンを私は見たかった。


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