見出し画像

真田丸第23話について

真田丸第23話です。秀吉は遂に北条征伐を決意、全国から総勢21万の兵が集められ、石田三成が兵站と作戦を取り仕切り(石田三成は今回やや冷静さを欠き、過敏性腸管症候群を呈しておりました😅)、総大将は豊臣秀次で北条征伐を行うこととなりました。

豊臣軍20万人以上、北条軍5万人以上、合計30万人になんなんとする小田原城の攻防戦を、なんと、株式会社コーエーテクモゲームスのCG図だけでまとめてしまっております。合理的と言えば合理的ですが...😅

そして、小田原城開城の使者は……。一昨年の大河ドラマでは黒田官兵衛が開城交渉を行い最大の見せ場でしたが、今年は黒田官兵衛は最初から存在しなかったかの如くで、真田信繁がのこのこと小田原城に入城。なんという節操の無さ...😅💦

この時の北条の対応は稚拙な対応に見えます。伊達政宗ほどリスクのある対応(白装束で拝謁)をしないまでも、もっと早めに上手く対応すれば五大老の一人にはなれたのではないか?という話もあります。

豊臣家が本気で北条家と開戦しようとしていたかどうかは、今となっては分かりませんが、現実には豊臣方は和戦両様の構えで、駿河に物資を集積していました。北条への威嚇であると同時に、その時の家康の領地である駿河を戦略的基地にすることで豊臣政権の事実上の支配下に置くという目的もあったのではないか、と思われます。北条がそれで従ってくればよし、従わなければ大義名分がそろったところで攻め込むということだったのでしょう。

それを北条方は和睦交渉は時間稼ぎではないかと疑い、余計に上洛をためらわせたのではないかと思います。開祖の北条早雲以来、北条家当主は上洛したことがなく、上洛自体が億劫だった言うのもあるでしょうし、上方の情報に疎かったこともあると思います。しかも上洛となると交通・宿泊費用だけでなく貢納用など費用ががかかるので、当時年貢率が高くなかった北条家は上洛負担が大きかったのかも知れません。

いずれにせよ、北条家の誤算は、まさかこんなに早く豊臣が大軍勢を率いてやって来るとは思ってなかったこと、盟約を結んでいた伊達家が当然北条家に味方してくれるだろうと思い込んでいたこと、鉄壁の守りの小田原城は籠城すれば容易には落ちないはずだと思い込んでいたこと、ここに尽きると思います。

このあたり、ヨーロッパでドイツが連戦連勝しており、当然ドイツがイギリスを制覇するものと思い込んで米国と開戦し、敗戦の道をひた走った大日本帝国軍に重なるものがあります。小田原評定を繰り返してなかなか結論が出ないのも、大戦末期、陸軍急進派を気にして何度も会議をしながらなかなか降伏を決められず(この期に及んで当時中立条約を結んでいたにも関わらず、虎視眈々と日本との開戦をうかがっていたソ連に仲介を頼んで連合国との講和を画策するという過ちをしています)、いたずらに膨大な死傷者を外地でも内地でも増やしてしまった大日本帝国と重なります。

負ける側というのは歴史的に共通項が多い気がしますね💦

#感想 #ドラマ #真田丸 #小田原評定 #北条家と大戦末期の日本は似ている #大河ドラマ #真田丸大河ドラマ最強伝説 #真田丸がツボにハマりすぎて抜けられない件 #負ける側というのは歴史的に共通項が多い

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?