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いつかの、(助走)

「あなたは、わたしのことを知りたい」

「知りたいです」なんだか気恥ずかしくなってしまう。いざ口にすると、言葉は脳内で変換され、改めて刻み込まれる。そうしてわたしは、また、梛さんに興味を持ってしまう。

「うん」梛さんは笑った。不思議だ。憂鬱な雨の中、梛さんは笑っている。この人は、わたしとは違う。似ているからこそ、違いはより浮き彫りになる。

「頭、濡れますよ」

「いいの、このまま、歩こう」

 歩く。二人だけのパーティーはやや窮屈な距離感のまま、徐々に高度を上げる。梛さんがわたしに遅れまいと歩調を合わせているのか、それともわたしが梛さんのペースに合わせているのか。とにかく、さっきよりは幾分か、パーティーと呼べるようにはなってきた、と思う。
 わたしたちは話をした。さっきまでの黙然とした行軍が嘘みたいに、二人で雨音混じりに言葉を交わしたんだ。

「クラスに馴染むのって、どうすればいいと思いますか」

「どう、って言われても、わたしだって馴染んでるわけじゃないからなあ」

「でも、そんな雰囲気出てるじゃないですか」

「あなたはそう思うかも知れないけど、わたしからするとそうじゃないの」

「じゃあ、梛さんがわたしだったら、梛さんはどうしますか」

「何を」

「クラスの中で」

「別にどうもしないよ。それでいいじゃん」

「解決策になってません」

「そもそもそんな悩みがあるなんて知らなかったし」

 そう言われると、途端にどうでも良いような気がしてくる。いいじゃないか、どう思われようが。これは強気なわたし。肩で風を切れるタイプ。

「梛さんは、悩みとかあります」わたしは脳内に浮かんだ疑問をそのまま言葉にした。登校班みたいだ。小学校の登校時に、安全に学校へ行けるよう、同じ学区内の児童が班を作る。その班を一単位として、列を成して通学路を歩いて行くのだ。今のわたしと梛さんはそれによく似ていた。欠席者ばかりの登校班に、わたしと梛さんが二人きり。本当は余計な会話をしてはいけないのだけど、誰も見ていないから、わたしたちは決まりを破る。お互いの顔を決して見ることのないまま、ぽつりぽつりと言葉を交わす。今はアスファルトの代わりに、ぬかるんだ地面を見つめながら。

「あったよ」

 わたしが振り返ると、梛さんは木の根を掴んでいた。地面を這う根が数十センチの段差を形成しており、その根の持ち主である木は、梛さんの頭上にも別の根を伸ばしていた。おそらく元は地中に埋まっていたものが、雨による土壌の緩みなどの要因によって顔を出したのだろう。梛さんがそれを掴んだのは、滑って転ぶことのないように。わたしも段差を乗り越えるときには、そうやって根や枝を支えにすることがある。
 
 岩に打ち込まれたハーケンと、地中奥深くに張り巡らされた木の根、どちらがより信頼できるだろう、とわたしはしばしば考える。ハーケンに括りつけられたロープはクライミングにおける命綱になるわけで、そう考えると「信頼せざるを得ない」。登山の歴史は人類史に比べれば大したものではなく、経験則が、とか、物理的に、とか言われても、わたしはどうも信用できない。それなら、わたしは木の根を掴むかもしれないな。未だ人知の及ばない領域が存在する自然に、わたしは手を伸ばすだろう。非合理万歳。たとえそれで死んだとしても、言い訳がつく。

「すべては自然の摂理です」

 わたしは梛さんに手を伸ばすことにした。梛さんは根から手を離すと、それをわたしへ向かって差し出す。わたしの手が梛さんの腕を掴む。そうして、わたしは梛さんを引き上げた。

「悩みって」

「たくさん」梛さんはそれだけ言って、わたしへ進むよう促す。なんだよ、遅れてるのはあんたのせいだろ。

「教えてくださいよ」

「そうだなあ、まあ、小さいことだよ、今となっては」

「今は悩んでないと」

「そういうわけでもないけど」

 埒が明かない。思春期に好きな人を当てっこし合う中学生みたいだ。自分に興味を持ってほしいくせに、核心には決して触れて欲しくない。だからこうやって、いたちごっこを繰り返すんだ。おいおい。わたしたちは、もう少し大人だと思っていたよ。梛さんに限って言えば、特に。

「話してくださいよ、いいかげん」

「まあ、いいけど……」

「そういうの、もうダサいです」

「次の休憩、いつ取るつもり」

「あと四十分は歩きたいですね、できれば、五合目まで」

「そのときに、話す、かも」

 また歩いた。次の会話までのローディング。メモリが圧迫されているみたいだ。再び口を開くまで、時間は緩やかに流れた。足を動かせば無心になれる。思い出せ、思い出そう。通学路を歩いていたときのこと。あのとき、物語は確かに生まれていた。わたしだけのパラレルワールド。わたしの背中には羽があった。なんて傲慢なんだろう。この知恵だけで、わたしは翼を持てるはずなのに。空まで飛ぼうとするなんて。
 
 今のわたしに羽があったなら。
 
 わたしは躊躇わず、屋上から身を投げるだろう。

(続く)

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