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ランドマーク(6)

「ふぇあ」

 聞き慣れない異国の言葉みたい、いや、実際にそうか。今となっては、遠い遠い異国と成り果てた、海の向こうにある国の言葉。

「先生」
「早く戻ろう、授業中なんだ」
「わたしは」
「海良」
「わたしは、授業を受けに学校に来ているわけじゃありません」
「虫のいい考えだ」

 理科教師がめずらしい言い回しを使うな、と感心した。担任でもないくせに、わたしを屋上から引きずり下ろそうとしてくる。そのたびに、こうして不毛なやりとりを繰り返している。わたしはなにも期待していなかった。ただ、先生の真意が分からない。学校という小さな箱に、それよりもちっぽけなわたしを自らのエゴで押し込めたいのか。エゴはありませんという善意のもとでわたしを縛り付けたいのか。どちらにしろ、わたしはもうここにはいられない。

「わかりました。戻ります」

 戻ります、と口に出してから、わたしはそのことを後悔した。戻るだなんて、教室こそがほんとうの居場所みたいな言い方。まあどうせ、わたしはこの箱から逃れられない。

 パイプ椅子やイーゼルを美術室へ運んでいるあいだ、わたしはずっと同じことを考えていた。このまま帰ってしまおうか。廊下には誰もいない。教室から溢れる光が、その左半分を照らしていた。わたしはその上を歩いた。わたしの影は長く伸びる。わたしの影を踏んでいるのは、わたし。

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