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ランドマーク(12)

「梛」

「梛」

「ねえ」

 目を覚ますと、ベッドの傍らに母がいた。あいかわらずの白装束。右腕に違和感を覚えて掛け布団の下へ腕を差し込むと、どうやら点滴を打たれているらしいことが分かった。
 不自由だな。白堊の無菌室に、母とふたり。蝉の声くらい聞こえてきてもよさそうなものだが、夏は窓ガラスを隔てたそこにある。春も夏も秋も冬も、この部屋ではなんの意味もなさない。

「経過はどう」
「寝てるだけだよ、なにも変わらない」
「そんなわけない」
「食欲は? 戻った?」
「まあまあね。そもそもここの食事、あんまりおいしくないからさ」
「健康が一番だから。私も心配なのよ」

 そりゃそうだ。彼女はわたしの母親であり、同時にわたしの主治医でもある。わたしのこころとからだについて、わたしよりも多くを知っている唯一の人間。
 だからわたしは、彼女を母親として敬い慕うと同時に恐れてもいた。まるでちょうど、テーブルに置かれた包丁みたいに。わたしの道を切り開いてくれているのは紛れもない事実だが、いつかその切っ先は自分に向くのではないか。

「試験、あさってだね」
「わたしは寝てるだけだし」
「じゃあ、私の方が緊張してるかも」
「ふうん」
「ね」
「む」
「りんご、食べる?」
「りんご?」
「職場の人の家が農家なのよ。もらったの、一箱」夏なのに。

〈An apple a day keeps the doctor away〉
 

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