見出し画像

それで、今日も生きる

しばしば、私は行き詰まるが、行き詰まりを着々と生きている。

私は、男が嫌いだ。だけど、昔々、私が愛らしい「ジョシ」でコイビトがいた時代があった。それは私の学生時代の終焉頃で、その時の私のコイビトは「ダンシ」で、いわゆる「カレシ」である。

余談だけどさあ、阿部定のコイビトが女だったら歴史が変わっていただろうと思う。

さて、可愛いジョシだった私の「カレシ」は、「オザキユタカ大好き」という人だった。「オザキユタカ」とは「校内暴力」「いじめ」「青少年の自殺」に並ぶ昭和の象徴みたいな存在で、歌手であり、彼の「卒業」という歌が随分と流行った。
私は「支配からの卒業~」とか言われても「学校嫌なら行かなきゃいいじゃん」と思うタチだったけれども、コイビトが好きだというものを、コイビトもろとも受け入れた。

カラオケで「夜の校舎窓ガラス壊して回った」と歌う彼を見ては「あんた壊してないじゃん。」、「シェリー俺は上手く笑えているか」と歌う彼を見ては「稲中卓球部見て馬鹿笑いしてるじゃん。」と思っていたけれど、私は私のコイビトが大切にしているのであろう世界観を尊重して、そんなことは言わなかった。私は夜の校舎の窓ガラスを壊したりはしていないけれど、いくらかの地味な「学校に対するレジスタンス」を表すことをして、学校という組織の代理人である教師から制裁を受けた。すなわち私は4日間にまたがって、自分の尻腰が内出血で真っ黒になるまで竹の棒でぶたれた。私は泣かなかったし、平気な顔をしていた。私は私のカレシがそんな目には遭っていないことに、少し安堵があり、多分、少し軽蔑があった。

私は自分のコイビトがとっても好きだった。中高とサッカー部のキャプテンをしていて、後輩に人気があって、髪の毛がさらさらで、骨格と肢体の筋肉が健やかで美しくて、何でも食べて、車もバイクも運転が上手。彼はスタイルが良くて大きな手を持つ美しい男で、私にとって彼の美しさはたまらなくかけがえのないものだった。

そんなこんなで何年か経ったある日、この私の美しいコイビトが当たり前のように「就職が決まった」と言ってきた時、私は心底驚いた。あまりの驚きのせいで世界の終わりを予感したほどに。就職?あんた、支配からの卒業って歌ってたよね?死んでも豚には食いつくなって歌ってたよね?
私は思わず言った。「オザキ好きじゃなかったっけ?鉄を食えって言ってたじゃない。」「・・・・鉄なんか食べられる訳ないやん。」私はどうしても理解ができなかった。「サラリーマンにはなりたかねえって言ってたのに就職するんや?」「普通やろ。」。鉄が食えないことなんて分かっている。だから、私は彼との心中を本気で企てていた。

それから何年かして、私たちはどんどんぐちゃぐちゃになって、心中は成されず生きたまま別れた。後に、折り合いの悪い母に言われた一言に、私は「ああ」と納得した。「あんた、理想と現実は違うのよ。」納得して、それから私は怒り狂った。「私がオザキなら、サラリーマンがカラオケで自分の歌を歌うことなど許さない!!」。そのオザキはカラオケなるものが流行るとっくの前に死んだ。

理想をただ理想として掲げておくということが、私にはできない。憧れるのは近づきたいからだ。諦めるのは我慢ができない。どうしてもどうしても、我慢ができなかった。そんなわけで、そんな風に、私は少しばかり狂いのあるまま生きている。けどさあ、理想と現実は違うってさあ、最初から分かっていることではないやん?実現する気のない理想なんか、ぜんぜん理想ではないやんか。それって現実そのものや。

でさあ、よく考えてみたら、「支配からの卒業」とか「俺は上手く笑えているか」とかを聞いてニコニコしながら平気で白けていたのに、「テツを食え、飢えたオオカミよ」だけはすんなりと本気にしていたってのも、おかしな話だよね。私もちゃんとは目が見えていなかったわけだ。

実際に、現実と理想の間にある深い淵に足を取られて落ちてしまって、彼岸の側へ行ってしまった友人がいる。彼は、私と一緒に歌ったり、笑ったりして、私の何をも一切の否定をしたことのない、唯一の、理想の友人だった。ある朝連絡が来て、二度と物言わぬ彼と対面した。理想と現実の間にあるギャップに苦しむことができるのは、本気で理想を実現する気があるときだけだと私は思う。

生への衝動はものすごく強いもので、それを剋してさえ死を選び取ることは、並ならぬ力であり、弱さの成せることではない、と、ロシア人のシャーマン、私のコンステレーションの先生が言うのを聞いた時、私はその通りだと思った。
死ぬぐらいなら、そのエネルギーを生きることに使えとか言うのを聞くことがあるが、私はその度、絶叫してその絶叫する声の音波で地球を消してやりたくなる。私の一切を否定しなかったその人は、私の友人は、生への衝動を剋してさえ死を選び取り、既に死んだのだ。生きることへの衝動を剋してさえ、死を選んだ、その選択のプロセスの全てに敬意が払われること、そこにある尊厳に平伏すこと、それを、私は望み続ける。

私は彼の死と共に生き続けている。

今まさに家父長制度は死につつあり、私はその手を握っている。
死を見届けることが、幸せの妨げにならないところへ、私はいく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?