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80年代の華麗なる一発屋のおはなし
ABCやa-haを一発屋にするのは勘弁してくれとはいうものの
noteのある記事で、ABCについて「"The Look of Love"しか知らない」と書かれているのがあってですね。ABCの全アルバムを所有する私としては(そしてABCは現役だ)、何とも悲しい思いに襲われたわけで。またa-haといえば"Take on Me"しか語られないとか、スパンダー・バレエといえば、ああ"True"だよねとピンポイントで語られるだとか、そういうのも大変悲しいわけで。
とはいうものの、考えてみればよほどそのアーティストが好きかチャートを常に追っかけてなきゃ、一発屋扱いされるのはしょうがないよねとも思わざるを得ないのですよ。実際ABCなんてリアルタイムで日本の洋楽系雑誌にまともに掲載されたのなんてせいぜい2ndアルバムの"Beauty Stab"までだったかと思いますもん。3rdの"How to Be a Zillionare"や4thの"Alphabet City"(前者は米9位の"Be Near Me" 、後者は米5位の"When Smokey Singsのヒットを生んでおり、米18位だった"The Look of Love"より上位にランクインしている)の方がヒットしているはずなのにほぼ黙殺でしたもんね。
一発屋(One-Hit Wonder)の定義
一発屋は英語で"one-hit wonder"と呼びますが、英米での一発屋の定義は、その国のチャートでトップ40以内に一回しか送り込んでいないアーティストを呼ぶそうです。意外にハードルが高い。ちなみにギネスブックには全英1位だけの一発屋の記録があり、1980年代に絞ると3組。
Joe Dolce Music Theatre "Shaddap You Face" (1980)
全然知らない人&曲ですが、ノベルティソングで、ヨーロッパ中で1位を記録しています。アメリカでも53位、カナダでは2位、オーストラリアでも1位を記録。
Charlene "I've Never Been to Me" (1982)
「愛はかげろうのように」の邦題で知られる曲。シャーリーンはアメリカ出身の歌手で、この曲はスティーヴィー・ワンダーの初期作の作曲家であるロン・ミラーと多くのパートナーと作曲作業を行なったケン・ハーシュによるもの。
M/A/R/R/S "Pump Up the Volume" (1987)
バウハウスやザ・ザを産んだ名門インディ・レーベル4ADに所属したカラーボックスとA.R.ケインというグループメンバーによるプロジェクトで、彼らが一発屋になったのは当たり前、これが唯一の発表作品だから。アメリカでも13位、クラブチャートでは見事1位を記録。
Robin Beck "First Time" (1988)
初見ですが、この人もアメリカ出身。本国では1979年に"Sweet Talk"が31位にランクインしてますが、チャートインはこの曲だけ。ヨーロッパ各国でも1位を記録したようです。
それにしても流石にこの辺りになるとあのVEVOによる動画がないのがこれまた切ないですね。
イギリスにおける一発屋リスト
Wikipediaでは様々な媒体が一発屋リストを作っていることが窺えます。→こちら
眺めてみると、ネーナやファルコなど、非英語圏のアーティストはまあ一発屋になりやすくはなりますね。また80年代に限定し、一発屋なのにその後の影響力が大きいところとなるとこの辺かな。
Buggles "Video Killed the Radio Star" (1979)
厳密には80年代ではありませんが、MTV開局最初の曲としても知られる名エレポナンバー。バグルスは言わずと知れた80年代を代表するプロデューサーとなるトレヴァー・ホーン(後にABC、イエス、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなどを手がけ、自らもアート・オブ・ノイズに参画、ZTTレーベルで一世風靡する)とエイジアを結成するジェフ・ダウンズ。この曲を収録した1st "The Age of Plastic"は傑作ですが、2nd ”Adventures in Modern Recording"が大コケしてしまいました。
The La's "There She Goes" (1988)
当時、イギリス期待の新星バンドとして扱われていたメイ・リーヴァーズ率いるラーズによる畢生の名曲ですが、この曲がヒットしたにも関わらず、1stアルバムの完成は2年後。レコード会社と揉めたこともあり、その後は一切アルバムを出さないまま解散。リーヴァーズがずっとこの1stを録音し直しているという噂が流れたほど。
M "Pop Muzik" (1979)
これも1979年ではありますが、ミニマムなエレポは結構な影響力があったはず。Mはロビン・スコットによるプロジェクトですが、この人の場合どの曲を聴いても同じようにしか聞こえない金太郎飴タイプなので、飽きられるのも早かったのだろうと思われます。が、坂本龍一さんはなぜか気に入っていたようで、1982年に"The Arrangement"という共演12インチシングルを発表しています。さらに意外なところでは、"Pop Musik"はU2にも影響を与えていたようで、90年代の"Achtung Baby"からのテクノ・ハウス3部作への影響、97年のPop Mart Tourのオープニングに"Pop Musik"を流すといったことも。
アメリカにおける一発屋リスト
アメリカはこちらを。Lipps Inc. "Funkytown"(後にスード・エコーがカバー)やクォーターフラッシュ "Harden My Heart"、アフター・ザ・ファイア "Der Kommisar"(作者はファルコ)、マイケル・センベロ "Maniac"、メン・ウィズアウト・ハッツ "The Safety Dance"、ロックウェル "Somebody's Watching Me"(マイケル・ジャクソン参加)といった定番どころ、マイケル・ダミアン"Rock On" やボーイズ・ドント・クライ"I Wanna Be a Cowboy”などの一発屋であったことすら忘れてた人たちも。
またスパンダー・バレエ(Top40入り3曲)やシンプル・マインズ(同6曲)、ロビー・ネヴィル(同5曲)など、結構いい加減なリストでもあります。
この中で印象に残っているのはこの辺り。
Taco "Puttin' on the Ritz" (1983)
タコはその名前の面白さもあって、日本でもかなり売れました。彼はオランダ出身のインドネシア人。この邦題「踊るリッツの夜」は1930年のミュージカル映画の主題歌で、多くの人がカバーしてますが、フレッド・アステアが有名。タコのヴァージョンはニューウェイヴ風のアレンジが秀逸。今も現役で活躍中。
Murray Head "One Night in Bangkok" (1984)
マレイ・ヘッドはイギリスの俳優・シンガー。1969年にはミュージカル"Jesus Christ Superstar"の主題歌"Superstar"もヒットさせてますので(米14位)、一発屋ではありません。"One Night in Bangkok"はイギリス発の冷戦をテーマとした大ヒットミュージカル"Chess"の挿入歌。作曲はアバのベニーとビヨルンで、なるほどアバの"Gimme Gimme Gimme"とよく似た構成の曲になっています。
Baltimora "Tarzan Boy" (1985)
一聴して印象に残る一発屋の中でも名曲。バルティモラはイタリア出身で、この曲で一躍有名に。アルバム"Living in the Background"のCDは長いこと貴重盤でとんでもないプレミアがついていました(現在は再発されています)。
大変残念なことに1995年に38歳の若さでエイズで亡くなっています。
当たり前ですが…
一発屋だからだといって、彼らが才能がないわけではなく、そもそも一発当てるだけでも凄いのは間違いありません。アルバムも素晴らしいものがいくつかありますので、ぜひ興味を持ったら聴いてみてください。
私が好きな一発屋はオーストラリア出身のバンド、Wa Wa Neeの "Stimulation"(邦題「恋はStimulation」)。レベル42あたりを彷彿させるフュージョン・ファンクで、アルバムも最高ですが、オリジナルアルバム2枚で解散。中心人物だったポール・グレイは解散後もプロデューサーやソングライターとして活躍しましたが、残念なことに2018年に亡くなられました。国生さゆりが当時ポール作の "Never Been So in Love" (Wa Wa Neeのセカンドアルバムにも収録)を書き下ろしてもらい、彼らより先に録音していました。
Wa Wa Nee "Stimulation" (1986)