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摂食障がいの克服267【敗者】

 今日も帰宅をしたのですが、昨日よりも気持ち的には、怒りというか..やるせない思いです。

 アンガーマネジメントというものがありますが、何秒か待ってだったか考えてだったか(6秒ルールは覚えています)、怒っていいという結論に達したときは怒っていいと過去に聞きました。

 今回のことは、もう何ヶ月の月日信じていたことが根底から全くそこになかったというか不誠実だったので…。もう遡れないこの数ヶ月…。言葉は悪いけれど、誰かによって、人生は大きく左右され、マイナス方向に触れた。

 取り返しのつかない何かってあるんだなーって。わからないです。もしかして、もしかしたら解決される可能性もゼロではない。私が信じすぎてアクションを起こすのが遅すぎたから、もう遅すぎるかもしれない。

 逆にいうと私が何もしなければ、もう、もう、それこそ『号泣する準備はできていた』じゃなくて、号泣してしかるべき環境になると言い切れる。それぐらいの出来事です。

 なんというか天秤ってありますよね。
 そこに重きを置けるのか、そこに価値を見出さないのか。

 いい例えは思いつかないのですが…
 (ここまでいくつか例えを思いついているのですが、本題に限りなく近づいてしまうため、人対人の例で考えてみました)

 例えば、友人が弱り切ってるという状況があって。

 じゃ、自分のお金を払ってでも会いに行こうかなって思える優しさとかになるのかなー。損得ないっていうか。それができるということは、なんというか、素敵だなって思う。

 同じ友人の例で、仮にですが、その方がちょっとはその友人の弱り切った状況に責任があるとして。それでも200円なんて余裕ないから無理って言える強さ、みたいな(月給40万ほどあって、200円なんて!金銭的にむり、って言える、強さっていうか)。

 200円を金銭的に無理といえる強さ。その裏で、自分のお給料を確保していたとしても、例えばですが、少しでも自分に責任のある相手を蹴落とせる強さ、そういうところですね。

 全くもって、強さとは言わないとは思う。
 人間的に小さい。

 小さすぎる。でも、こういうことってすごい繰り広げられている世の中なのかもしれない、そう思った出来事です。

 ホリーガーデンの静江の彼が言っていた。

 『往々にして優しいと、傷つく』って。優しいとは、きっと人がいいから、気づけば搾取される、そういう側面もあるのでしょうね。

 けれど、人と人の話ではなくて。

 私が書いているのは、個人的な友情とか、そういう問題ではないので。

 非常に人の(というより1世帯の)人生を、揺り動かしたということに気づいてほしい。

 今も。何も言わないけれど…。人間なんだから、そうやって小さな自分の得を追及して、人を多大に不幸に陥れるなら、それって今の掲げてる何か(コンセプト)には全く反している、そう、それはいつか気づくべき。私や私の家族を犠牲にしても。
 
 もう、苦しすぎて暫定的に終わりがあるように書いていますが。
 本当の終わりが来るのかはわかりません。
 なぜなら、ぎりぎりで相手にアクションを起こしたからです。
 
 何ヶ月待っていて、裏切られて、でもアンガーマネジメントの教えのように、自分のできることは全部したので。後は神のみぞ、知る。そのunder circumstances(突然思いついた、その状況下でという英単語)、今日も生きてるし、今日も、家賃も水道光熱費も、食費も仕送りも全部してる。そういう人生だってある。そういう人生を全部ではなくても理解したならば各種、責任を伴うと理解する必要はある。

 上の立場であったら何をしてもいいのか、とか。それはハラスメントにならないのか、とか。

 ここからはつぶやきとして..

 企業にとって、ペーパーレスとか、消耗品削減は大事ですよね。

 でも、顧客ニーズのために働いている、人たちだって、削減されたり搾取される、その前に。

 人であって、生きていて、辛い思いもしてて、そして、家族もいる。

 責任は無論果たすもの、けれど、義務はどこまで追求されるべきなんだろう。

 まさかの4日連続の江國香織さん『ホリーガーデン』で投稿させて頂きます。

 敗者ではある。でも、敗者にも人生はある。

 
 


 

 
 

 

 

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