摂食障がいの克服51【波動法と、捉え方】
【波動】
食べ物には波動があって、波動の高い食べ物、そうではないものがあるそうです。自然の力や、海の力で育つものは波動が高いそうです。
自分のからだが喜ぶ、波動が合う食べ物を食べることにより、からだは自然と喜んでいる、そう感じる練習をしてみようと昨日思いました。
からだは食べたもので、日々できていて、からだのエネルギーとなり、組織となっていて、もちろん、おいしいって感じる脳と同時に、からだも喜んでいるんだな、って。きっと、これは『からだは借り物』の考えに根付くと思います。
嗜好品は、もうおいしい!って脳が喜ぶけれど(そして、止まらない・・・)、からだのことを考えると、そればかりではやっぱりだめだろうな、ということですよね。(それが、だめではなく)
私は出来上がったものは今はそう買わないのと、あと甘いものは全くと言っていいほど食べないんです。後、普段お茶とお水と珈琲は飲むけれど、ジュースなどは全く飲みません。コンビニのおにぎりやサンドイッチは好きだけど、たまに買うぐらいです。でも、ポテトチップスとかお菓子は好きで、ついつい買ってしまいます。後、加工された製品といえば、ベーコンやウインナーは好んで買って、お料理して食べてます。(ウインナーとねぎをオリーブオイルで炒めたり、ベーコンも野菜と炒めたり、煮込んだり)
毎朝、納豆とヨーグルトと、できたらたまごは食べてます。納豆は波動が高い食べ物だそうです。
スーパーマーケットに行くということは、『狩り』だそうです。
スーパーに行き(私は業務スーパーに行きます)、野菜コーナーをみて、お豆腐コーナー、そしてお魚、チーズ、たまご、おにく、それから時間があるときには、冷凍食品も全部見て回っています。
コンビニは宝箱のように、何でも揃っていてとっても魅力的ですが、『狩り』ではなくて、ほしいものをそのまま買う、というスタイル。
一方スーパーでは、野菜やおにくを『狩り』にいき、そして、何を作ろうか考える。
同じじゃがいもでも、たまごでも、鶏むね肉でも、お豆腐でも、お料理によって、全く異なる食べ方ができるから、考えることが大好きです。とはいえ、自分の勘だけで作っても限界があるので、いつも、レシピみています。りゅうじさんが一番大好きで、何を作ってもおいしいから、りゅうじさんが仰る『一軍』の調味料は常備しています。
もちろん、どんな食べ物にも作った方の愛情がこもっていると思うから、だからおいしいって私たちは感じて、でも、いわゆる『手作り』にはさらに私たち自身の愛情がさらに込められていたりするから、波動も自然と高くなる。逆に言うと、作るとき、不機嫌だったり、義務感だったり、怒りが入ると、よくない波動が入る、そういう考えにも納得します。
私は愛情こめて、食べてもらえるということに喜びを感じて作っているんですけど、きれいな出来事ばかりでなく、日々悩んだりもしています。
【ものごとの捉え方】
世間的に胸を張って言えない行動、例えば、過食嘔吐、リストカット、依存症・・・
もしも、『心』を考える性質であれば、その人の心を想い、私たち自身の心も傷みます。
私も、もう拒食症には戻りたくないと思うし、あの、止まらない過食も、もう耐えられそうにありません。それぐらい辛い心が生み出す行為で、そんな苦しい心を、もしも、今感じる方が今いれば、また苦しくなる。
一方、『心』ではなく、『外』を受け止める性質であると、やはり捉え方はまったく異なるようです。
私は以前、『共感力のない方は、外』って書いたのですが(節分に)、あの時とっても怒っていて(もう、長い話になってしまいますが、一言でいうと、『37キロとは言ってないけど、ちょっとは痩せたら』・・・という趣旨のことばを言われて、摂食障がいに向き合ってきた今になお、これを言われたと、『聞こえて』心底辛かったです。)、その怒っていた(というより、やはり悲しい。15キロ増えてきた中には、様々な症状や苦しみや、思いがあるし、受け入れるということ自体が、一番厳しい壁です。自分が自分の体重などを受け入れるということが、壁なんですよね・・・)自分に反省しつつ、その『外』っていうことばを再度昨日考えたんです。
これは案外、ちゃんと存在するそうです。心を捉えるか、外を捉えるか。
仮に低体重の方が過食嘔吐をする。
それって、私は心が傷みすぎて、・・・でもすごい難しい問題で、これがあるから生きていけるっていうこともあるし、いいとか悪いとかではなくて、必要であれば、そこを頼っていいと思うんです。
でも、『外』を捉える性質だと、『ずいぶんと費用がかかるね。贅沢じゃない?』ってそういう考えになるんです。
事実のみを受け止めると、それはそうかもしれない・・・・・・・
私は共感力の問題と思ったけれど、それは、受け止める『思考の仕方』の違いのみで、そもそも色々な考えがあるから、いいも悪いもなくて、合うか合わないか、ということ。
つまり、もしも自分にとって、合わない(意見をぶつける)など、そういう存在であれば、距離を置く、そういうことなんですよね。
根底的に、分かり合える、合えない、それが、気持ち云々を超えるか超えないか、私にはわからないけれど、やはり考え方の違いがある、それが人間であり、それが例え親子であっても、惹かれた相手であっても、起こり得る、ということなんだろうなあと、昨日考えました。
そうはいっても、分かり合いたい相手とは、話をするしかないし、相手のいいところも存分に知っているし、自分の悪いところもまた、必要以上に知っているし。
ただ、そういう、心に特化する考え方、外(事実)を捉える考え方では、ただ、ひとつのこと、それが全く違う世界になるということ。
それを昨日感じたんです。
逆に考えると、『この方は外の捉え方だな』そう思えば、楽になれる部分もあると思います。
昨日、りゅうじさんの『至高のハンバーグ』(合いびき肉、バターで炒めた玉ねぎ、コンソメにお水に、そして牛脂、たまご、パン粉等・・・のハンバーグだねで作ります)に、『予約の取れない家政婦志麻さん』の先日作られたチーズハンバーグの作り方を合わせてみました。
ハンバーグだねつくって、そこに、ウスターソースとケチャップを合わせたソースを乗せて、オーブンで焼いて、さらにホワイトソース(バターと小麦粉と牛乳のみ)乗せて、チーズを乗せて焼きました。
私の中では、至高シリーズと、伝説の志麻さんのレシピが合わさった最高のチーズハンバーグです
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