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摂食障がいの克服221【いのち】
仕事から帰りました。
今週から新たにいくつかの顧客対応が増えていて、気が重い。
かつて、山本文緒さんが、『自分がしんどいと書いているだけの日記のようだ』とエッセイで書かれていたと記憶していますが、私はそれだといつも思います。
このお仕事を始めて2ヶ月強ぐらいになりました。
最初のころのあの、膨大なストレス、強烈な不安、明日なんて無理の連続の日々。体力的にも、”最初だし”と、相当背伸びをして無理をしてしまった。今はオーナーの意向というかそう長時間勤務をしていません。また、こちらの希望もまた、勇気を出して伝えたので。(その結果色々と疑問も多々ある。)
今も毎日、仕事の前にはもう行きたくない、その連続ですが、一応毎日何とかなって帰宅しています。また、今週増えた対応の初日が昨日・本日で何とか自分で対応できた。また、皆さん笑顔で去って行ってくれたのが、私は嬉しいです。
嬉しいんです。『あの顧客は笑わないことで有名なので』と聞いていたけれど、でも今日ずっとニコニコしてくれた。それだけで。
とはいえニコニコするために私に時間を割いてくれているわけではないので、こちらが事前に(膨大な時間をかけて)準備した資料でプレゼンをするわけですが・・。
でもどうせなら、相互作用ではないですが、顧客自身もプラスの感情があればこそ、私の言葉を受け入れられる余地もあったとか・・そうだったらいいな。相互作用とか、素敵な言葉な気がする。人は一方通行では生きていけないと思うから。ビジネスの場でも、またプライベートでも。また、ネットの世界でも。
今朝、ふと不安になったのです。
何が起こっても、私は息子がいる前提で自分の世界が成り立っている。
何があっても、もうそれは私の大前提です。
少しでも地面が揺れれば、息子のことを真っ先に考える。
なので、何があっても、私がどうなっても息子は守るし何があっても助けるし、何があっても愛する。
今朝ふと不安になって、連絡したんです。
こともあろうか、まあ、自分の仕事の予定を引用して。とにかく返信が来ればなんでもよかった。
『やめれば』
そんなこと言わなくても・・・涙目の私。『お母さん、ネガティブになってる』
『違うの、今は辛いけど、この後乗り越えてみせる。なぜなら・・』と説明したのです。連絡しなきゃよかった・・・。
今の仕事は、確かに色々疑問点はあるものの、非正規雇用という道を選んだのは私です。非正規雇用ということは、その働いている瞬間のパフォーマンスで評価されるし、逆にいうとそれ以外責任はない。(また賃金もない)
けれど、事前準備に、仕事の何倍、4、5倍かけても私はその責任を果たしたいしな。なので息子にも言ったんです。やめないし、弱音を吐いているわけじゃない、とは。
今日も責任は果たしたと思う。1時間の仕事のために何時間も仕事してる。
弱音は吐くけど、だからっていい加減にはならないし、なれないので。
こんな感じで息子とは意見を交換しつつ、成り立っています。
以前も書いたのですが、私は、子育てとは
*考える力
*想像する力
*愛されている自覚
それを与えることだけだと思う。後は何とでもなるような気がして。
息子が2歳かな、言ってくれた。
『お母さん。僕ね。お空からみてたんちゃう。
この人かなーって』
私、嬉しかった。こんなあほみたいなお母さんをお空から見ててくれたんか、って。
『でね、僕はお母さんのおなかにきたの』って。
2歳で、お母さんをお空から探して、来てくれた。
そう言ってくれた息子の心はきれいだし、また・・・そこまで育てたのは私だったとは思っているのです。
私自身は、愛されている自覚はないままに育ったし、いわば10歳の壁(=自己肯定感)も愛情も(感じられないままに)なしに突破しているので。
自画自賛じゃないけど、私が生まれてきて唯一したことが、息子が愛されていると感じて育ったことだと思っているわけです。
その息子に馬鹿にされまくって生きているけど。
『お母さんな、ラーメン屋とかで働けるって思うな。お母さん、あっつーってこぼすからな』
そのとおり。私もなんていうか、娘の立場からとか、親の立場あるけど、何が正解なんて、死ぬまでというより、死んでもわからないんじゃないかな。
わかっていることは、自分が大やけどしてもどれだけのことがあっても、息子だけは助ける(意志がある)、そう思って生きていること。でも一緒にいたら(イギリスでも喧嘩ばっか)ぶつかる、っていうこと。
先日精神科に行ってから、眠剤を今までの半分の量、飲んでいます。
眠剤もよしあし。
ある程度眠れる。今もちょっと名残があって、眠剤飲むと何らか食べてしまう。無意識になって、食べてしまうらしいです。すごい反省するけれど、人の1.5倍食べたんだな、って自分に馬鹿というより、傷ついててしんどいのか、自分の烙印を押してる。
昔、眠剤飲んで、私バターを食べたことがあって。
バターの塊。43キロぐらい。翌朝泣いた。
親友に伝えた。『バター食べた。最悪、自分』って。
バター食べる、って。
親友が、もうネタにしちゃえ
そういって、その後亡くなったんです。
私が定期的にお墓に行っている親友です。
バターのネタで、笑い飛ばしてくれた。
体重?私なんか60キロやわ、って言ってくれた。
ダイエットなんて私も失敗したよ、って言ってた。
でも、亡くなった。
私は親友が亡くなったあと、1ヶ月以上亡くなったって言えなかった。真実になる気がして。
その時にノートというネット上の繋がりがあったら、書いただろうと思うんです。あの時、言えなかった。ネット上の繋がりもなかった。親友が死んだ。
そのあと、今親友の家族と繋がっていて。今年は長女が、次女が、楽しみ、ってパパが。そういうのって、すごく尊いって、いつもいつも、もう、この世にいない大事な人たちを私は想っています。
うまく言えないけれど、生きていた人たちで、死んだ人たちだって今も繋がっていて、でも、できれば生きている時に繋がりたいし、
生きているからこそ、辛いとか、きれいごとじゃなくて、そういうのがそれこそ相互に言えるんじゃないかなってそう思っています。
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