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摂食障がいの克服114【could be loneliness】

 お疲れ様です。

 引き続き、アリーを観ています。
 本当におもしろい。キャラクターがすべて魅力的です。一人一人のキャラ説明をしたいほどに夢中です。

 アリーが勤める弁護士事務所(リチャードとジョンが経営者・のちにアリーも経営側になります)には、数名弁護士さんが所属していますが、このビルの地下にはバーがあり、彼女たちは1日の終わりにそのバーでお酒を飲み、語り、時にダンスします。このバーでいつもピアノを弾きながら歌っているのは、歌手のボンダ・シェパードさん。このボンダさんの曲もまた素敵なんです。主題歌を歌っているボンダさんが、普通にアリーの誕生会にきていて、何だか面白いなあと思ったり。

 仕事の終わりに同僚たちとこうやって集えるバーがあったら素敵ですね。
 ・・・ってよく考えたら私立ち飲み仲間と集ってるんだった・・・

 文化の差があれど、気の合う仲間と飲みに行くということは、癒しの時間ですね。

 以前書いたことがあるのですが、『食べる文化・飲む文化』があるので、日本人のようにお刺身食べたり、だしまきたまご食べたり、というよりはアリーの仲間たちはみな、グラス片手に語る、っていう感じ。アメリカのバーにも大昔に私はいったことありますけど、やはり飲む専門というか。ごはんを食べてから、じゃあ軽く飲みに行く?といった感じでした。

 大昔といえば、私は投資の世界に興味を持っており、毎日証券口座の損益を確認していますが、投資信託というこの、お弁当の詰め合わせパック。仮にひとつの詰め合わせパッケージを買うと、その中にはアップルやグーグル、メタなどトップの企業が詰めあわされている、このようなパッケージ商品を日本で買えるようになったのは比較的近年だそうです。
 ちなみに、世界最初の株式会社はオランダで設立されたそうです。そして、その頃日本では、関ヶ原の戦いの時代だったそうです。
 気が遠くなりそうなお話です。もう一度ちゃんと色々勉強したいといつも思います。

 アリーの話にもどり、今日は3話ほど観ているのですが、また紹介をさせて頂ければと思うエピソードというか、ことばがたくさん出てきました。

 『あなたはずっとひとりじゃない。どういう気分なの?ひとりって。』

 そう、いつも誰かと例えばいて、付き合ってる人がいたり、友達がいたり、でもいつもいつも、実は、ひとりだと感じているということが、どれだけの孤独で、でも孤独だと、孤独を抜け出すという行為が恐ろしい作業で、誰かを信じるとか、誰かに自分の人生賭けてみるとか、・・だから予防線はって安全に生きる。・・・これは経営者のリチャードの話になるのですが。

 もうすごい余談というかネタバレになりますが、最終話は、このリチャードが結婚する。そんな会にになります。孤独で何も信じてなくて、お金を得るってことにすべてを賭けていたリチャードが、ある女性の、悪ぶってる面だけじゃない、その、それこそ『魂』に惹かれ始める。
 『I'm falling in love with you』と彼女に言ったリチャードのことばに涙しました・・・。久しぶりにきいた、そんなことば・・・(涙)。

 その昔、『ビバリーヒルズ青春白書』というアメリカのドラマがありましたけれど、その最終回も、準主役というか、ドナという子の結婚式が最終回で、すごい意外だったなあ。

 アリーに話は戻り、キャラクターの方々の皆さんが魅力的すぎて、夢中です。(よくジョンが、女性を好きになると『○○に夢中だ』と言っていた。『I'm drawn to her』)

 今最終話を観ていますが、本当に泣けます。
 アリーが、かつて好きだった人と対話するシーンがしばしば出てくるけど、結果これって彼女の妄想・幻覚なんですね。亡くなった彼が彼女の元に来てると思ってた。そうじゃない、彼女がそれを生み出して、それで何とか自分を保っていたんだ、と。

 私が毎晩毎晩、小さなころの家に遊びに行ってるのとちょっと似通ってます。

 私は育った家がふたつあるのですが、ふたつめの家で、独立した自分の部屋をもらいました(両親はほぼ入ったことがないと思う)。夢に出てくるその部屋に私が遊びにいくんです。こちらから、その部屋の扉をあけて、階段をおりると、小さなころの私や妹に会えます。たまに母親にも会う。あ、ばれるかな?っておもうけど、もう40代の私に母は、自分の娘とは思わないみたい。あ、すみません、お邪魔して、ってすぐに退散。
 一方、母たちがその扉を開いても、当時のドアをあけただけ。
 なので、未来から過去に訪れた私はみえないんです。
 こちらがドアを開くときだけ、過去と今がつながる。

 ・・・・ただ、私もさすがに日中起きているときに、今どこにいるか、それが過去に生きているのか、などは思はないので、・・・眠っている間に起きる。アリーとの大きな違いですね。眠っていて、起きると、『困ったな、今日家庭科試験だったんじゃないかな。。さぼっていいかなあ』と本気で思いますしね・・・。

 昨日の不調がいったいなんだったのかと思うのですが、
 夜相当食べてます。

 今朝も相当です。コンビニに朝から行ってしまった。わりと最近では珍しいぐらいの衝動。

 今顔がむくんでます。よく思うのですが、まんまるこまちさんのあのすっきりとした目元がうらやましい。
 
 それで、昨日の不調なんですけれど、やはり対人っていうのはあるんです。すごく難しいんですが、別にひどいことされたとかではない。
 それでも自分なりにすっごいきつかったんですよね。仮にですけど、このきつい時間が後2時間なら耐えられる。って耐えた後、2時間後に、それ、20時間後でもいいかな?って言われたような感じ。昔から我慢ばかりするから、我慢に対する見積もりに対する、予測不可に弱いんでしょうね。後これぐらい我慢しよう。そんな見積もりする人いる?そう思うけど、私はします。

 そして、私がその後もやもやしたことなのですが、『過食って悪?』ということ。

 確かに苦しくなって私は自暴自棄感から食べた。
 でも、代償行為をしないんですね。つまり、吐かない。
 それで、それって『えらかったね』って言われることかな。
 いえ、私も何度も何度も書いていますが、過食しても嘔吐は反対で、本当に地獄なんです。けれど、じゃあ、いくら過食しても、吐かなかったらえらかった、と誰かにジャッジされることでもないとは思います。

 だって、問題は、過食した。
 そこじゃないかな。

 だから、そっか、吐かなくてえらかったね。よりは、
 そっか、過食して辛かったね。

 と私は思うんです。それが、今朝ぱっと言語化できなかった私のもやもやです。誰を責めてるわけでもない。そっか、えらかったね、って言われてそれは救われます。その瞬間の私の気持ちを、その方なりに想像しての発言。けれどね、私はこの瞬間過食したいとか、食べたいならいいんです。たくさん食べたい方が食べることに問題はない。けれど、苦しみながら食べてしまうという方がいたら、そんな心のそばにいたいです。私が誰かにそばにいてほしかったから。

 昔息子にかばんをつくってみたんです。強迫性障害ももってるので、洗濯しすぎてぼろぼろ・・・。
 

 

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