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「こちとら命削ってやってんだ」と真っ直ぐ言えることってありますか

とある配信公演を軽い気持ちで視聴したら、終演後のトークパートで表題の鉤括弧の言葉が飛び出す場面があった。

冗談ではなく、ガチギレの方でだ。
視聴者から事前に募った質問に答えるコーナーで、演者の仕事に対してあまりにも無礼な質問(質問者本人ではなく、身近な人がこういうことを言っていたのだがどう思うかという質問)に対し、「ナメるな」で始まる強い言葉の末に出てきたのが、「こちとら命削ってやってんだ」だった。
最初の方は冗談かと思って笑っている客もいたが、最終的には会場中が凍りついていた。

話し手の情緒がそういうモードに入ってしまったからなのか、その後も非常に重たい話題が続き、最終的に「最後はどうでもいい質問で締めよう!」と「好きな食べ物は何ですか」みたいな質問に面白おかしく答える形で終わらせたものの、私としてはそれでは到底回収できないところまでメンタルが落ち込む内容だった。
(批判する意図は全くない。寧ろ、聞けて良かった。)

しばらく半泣きで椅子に深く身を沈めたまま動けなくなっていたが、ヨロヨロとベランダに出てガラムメンソールに火をつける。
タール33mgの煙をギューッと肺まで飲み込むと、それまで締め付けられるように痛んでいた脳がクラクラして少し落ち着いた。

落ち着いてきたところで、先の演者の言葉を反芻する。

「こちとら命削ってやってんだ」

自分の仕事についてこれだけ真っ直ぐ言える姿に眩しさを覚えた。

まぁ、芸歴30年以上の方だから言えるというのもあるとは思うが、それでも30年以上ずっと命を削り続けてきたからこそ今の地位が築かれているのだと思う。

間を空けずに3本目に火をつけながら、私には命を削りながらやっていると思える活動がどれか一つでもあるだろうかと自問してみた。
無かった。それまで滲んでいただけだった涙がついに零れた。

色々やっているのでよく「何の人なんですか」と聞かれるが、私としては自分は第一に役者であると思っている。
しかし、その役者として、演劇をやる上で命を削っているかと問われると、これが実のところ取り組んでいる活動の中で一番削っていないと思う。

私が出ている(出られる、とも言う)芝居のギャラは、良くて1ステージいくらという条件だ。つまり、本番期間のギャラしか出ない。
悪い時は自分扱いで売ったチケット1枚につき500円とかの、今流行りのキックバックのみ。
最悪の場合、最低でも20枚程度売らないとキックバックすら貰えない。最初の20枚は実質チケットノルマみたいなもの。

演劇のチケットを20枚売るって、無名な小劇場俳優にとっては本当に大変なことで。
だから多くの役者はなりふり構わず、全ての知人友人親類縁者に手当たり次第コピペで演劇の知らせを送るのだ。
私は、それは(演劇を見てもらう)意味が無いと思っているのでやっていないが。(チケットノルマを達成する意味はあるだろうけど、私はやらない。そんなことに時間を費やすより、私の出る舞台なら自分から見たいと思って見に来てくれる人を増やす方に努力した方がいいと信じている。7年やっててあまり結果は芳しくないが。)

また、演劇は大体どれも1ヶ月前後の稽古期間が設けられていて、大体週3日・1回3時間程度稽古をする。
これが単純計算で週9時間、×4週間で合計36時間ぐらい。
この時間と、あと毎回の稽古場へ行くための往復交通費が、本番期間以外にかかる。
こうなると、一番好条件のステージギャラだったとしても、稽古期間を含めて考えると到底暮らしていけないので基本的に大赤字だ。
(ステージギャラ以外の芝居は出なきゃいいじゃんと思われるかもしれないが、出る芝居をギャラで選んでないので色んな条件の座組に出るのだ。どこに価値を感じるかは人それぞれであって、私はギャラよりも「脚本が信頼できるか」と「一緒に芝居を作りたい人が座組にいるか」を重視する。)

そんな感じだから、私は現状の自分のような状態であるところの「役者」の活動を「仕事」と呼ぶことに大きな違和感を覚えてしまうので、この文章の冒頭から頑なに「活動」という言葉を選んでしまっている。
ちゃんと売れてちゃんと食えるだけのお金を稼げるようになったら何の違和感もなく「仕事」と言えるのかもしれないけど。

話が逸れたが、思うに自信を持って「仕事」と思えるような状況に強制的に身を置くというのは命を削りやすい要素の一つではないかと思うのだ。
「もう自分にはこれしかない」「これで飯を食っていく」という覚悟を決めたら、命を削ってでも取り組まないことには仕方がない。
命を削って仕事をするという感覚自体は、私は会社員時代に高橋がなりさんの元でその片鱗を経験することが出来ていると自負している。

なお、命を削っていると自信を持って言えない=本気で取り組んでいないというわけではない。
演劇に出さしてもらう時はいつだって本気だし、手を抜こうと思ったことは一度も無い。
以前、病んでいる女の子の役の芝居でどうしても演出家に納得してもらえなかった時に、これは当時もそれは演技じゃないだろうとは思っていたが、本番初日も近付いていたので本当に家で手首を切ってから稽古場に行ったら一発でOKが出たことがあった。(演出家には手首を切ったことは一切言ってないが、狙い通り芝居に反映されたらしいので良かった。)
でもこの時削ったのは皮膚であって命ではない。
私は命を削って演劇をやっているとは、自信を持って言うことができない。

あくまで私個人の感覚だが、演劇に対して「自分にはこれしかない」と思えない理由として、アルバイトで生計を立てているのも大きいと感じている。
私にとってアルバイトとはデザイナーとライターの職がそれに当たる。
これは広く言えばクリエイティブ職ということで演劇と同じ括りに入れられる気がするため私は普通に明かしているが、実際は別に喫茶店やコールセンターなどと変わらないただのアルバイトである。
やらないと到底食べられないので仕方なくやっているものの、やらないでいられるのなら躊躇いなく捨てられる。

とは言え、アルバイトも本気でやっていない訳ではない。
デザインについては観劇に行く度に良いデザインのチラシを持ち帰ってファイリングしたり、足りないスキルは本を買ったり、日々勉強している。
ライティングについても、レギュラーで貰っている案件の題材について日々触れることで情報をインプットしている。
ただ、これについては全く苦ではないのだ。
楽しくて、半ば遊び感覚でやっている節がかなりあるので、到底命を削っているとは言えない。

楽しいと言えばラジオだ。
ラジオの仕事は楽しさしかない。
週1のレギュラー番組のために私が毎週やっていることは、週替わりのテーマに沿って1曲選ぶ、その週のニュースを3本選んで3分ずつくらい喋ることを考える、直近で見てきたエンタメについて15分喋る内容を考える、の3点だ。
全部遊び半分である。もちろん、遊びだろうと本気ではあるが。
でもずっと楽しいので、何一つ命を削られるタイミングが無い。
そもそも週に1本のレギュラーで削られる命など無い。
オールナイトニッポンとかなら別だが(CreepyNuts終わっちゃったね……)。

というか、まず「命を削る」って何だ。
と考えてみると、「そこに苦しみがあるかどうか」ではないだろうか。

その点で言うと、ラジオとアルバイトは楽しさしか無く全く苦しくないので命を削っているという感じは全然しない。

そして、演劇については私が「楽しい範囲」でしかやってないから命を削れていないのだと思った。
私は自分に甘い。だから自分の楽しい範囲でしか演劇と触れ合っていないのだ。
そんなだから食えないのだと思う。

楽しい範囲でしか取り組まないことは、趣味だ。
なのに私は、趣味でやっていることを自分の第一義に据えている。
そんなものは無職だ。

私は無職だったのかもしれない。

***

<冒頭の配信公演について>
有料配信の内容に触れているためぼかしたが、メンバーシップの方々は友達みたいなものなので、おすすめさせてほしい。

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