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自己紹介。と、自分の仕事。

はじめまして。長野県松本市で装身具(想心具)、ジュエリーを作っている宮澤紀充と申します。

1993年生まれ、長野県松本市出身。
Racconto Jewellery Studio
代表 / Craftsman / Designer / Editor
信州ものづくりヤングマイスター

自分自身と言っても過言ではない、
自分の仕事について。紹介させて下さい。

Racconto Jewellery Studio
Racconto/物語、紀行文を記すように、中世の手仕事を理想とし、自分の最も好きなことである、ものづくり(ジュエリー制作)を生業に、人に感動を与える作品作りをしていきたいという想いで、2018年12月20日に創業、2020年12月20日から工房兼店舗の営業を始めました。店舗の経営、広報、素材選び、デザイン〜制作、販売までの全てを自身で手掛けています。

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どのようなお店なのか
私が制作するものを気に入って頂いた方のご希望とご予算に合わせた一品作り(オーダーメイド、ビスポーク)を主に、欲しいもの、思い描いたものが形になる店です。訪れた人の、琴線に触れる場所と成ることを理想にしています。 

制作は受注生産(オーダーメイド、ビスポーク)を主としている為、ご相談/ご依頼については BE SPOKEお問い合わせとご依頼を頂く際のお願い をご参照下さい。

自分の目の届く距離感で、表情、仕草、機敏を観て、ご依頼を頂いた方が本当に喜んでいるのか、手元に残る(残したい)ものなのか、制作した自分が直接お渡しする為に販売までを自分でしています。

制作を通じて
100年後にアンティークとして後世に残る作品作りを目指し、生涯尽きることのない表現の探究をしていきたいと思っています。

素敵な靴は、素敵な場所へ連れて行ってくれる。という言葉のように、自分にとって、素敵なものを真摯に作っていることが、場所(人に会える機会)、巡り合わせを担っているように思えています。自分の作るものも、同じような存在に成り得たら、とても素敵なことだと思っています。

誰かに、身につけて頂けるもの。を作りたい為、
私自身が作ったものを、自身で身につけることは少ないです。

Raccontare / 物語る。
という動詞の一人称でもある、 Racconto.

制作〜お渡しするまで。 の一人称は、私(宮澤)。
お渡し〜身につけてから。 の一人称は、 あなた。

そんな裏設定、 物語の一人称バトンタッチがあります。

私にとっての、手仕事、ジュエリーという言葉の定義
手仕事
・祈り。
・人の手そのもの。
・心象風景の具現化、翻訳。
・生涯で完成をもたない学問。

ジュエリー
・光。
・想起の為の鍵。
・過ごす時間の装飾品。
・身に着ける人の個性、背景。
・現代社会を生き抜く為の刀。

オーダーメイド/ビスポーク
・​呼応。
・即興。
・幽玄。

道標 / 目指すもの
・100年後にアンティークとして、後世に語り継がれるもの。
・権威や格式、羨望とは無縁で、最も遠い場所に存在できるもの。

藤の花 ER 1
ナナカマド ER 4


ジュエリー制作とは
身につける方の想い、その人らしさを形にすること。
この言葉に尽きると思います。

もう少し踏み込んだ言い方をすると、全ての制作者が扱う共通の素材である貴金属、地金。主に、金、銀、プラチナ(1g約7000円、100円、5000円※2021年5月時点)の価値をどこまで高められるか。与えられるのか。石を留めるのであれば、石の特徴をどれだけ引き出せるのか。時に欠点とも捉えられる特徴をどれだけ活かせるのか。だと思っています。

これまでの宝飾史の文脈、作られてきた全ての意匠に敬意を込めた上で、模倣ではなく、自分ならどのように作るのかを大前提にしています。

オーダーメイド、一品作りを主にしている理由
決して安くはない金額で買ったものが、同じものを持っている人、身につけている人がいるというのはなんだか嫌。と私自身が思うからです。

個体差を一点物と呼ぶこと。売れたら(利益を得られたら)補充、再入荷。というのもあまり好きではありません。

あとは、
作ったことのあるもの。(知っているもの。)よりも、作ったことのないもの。(知らないもの。)が、率直に、面白いなと思います。

高価そう。よりも、素敵。という第一印象を、身につけて会った人にも与え、会話のきっかけ、目に留まるものであること。

身につける人自身だけが知る価値や意味を持たせたり、自由に決められること。好きな要素を詰め込んで(詰め込んだ結果の課題や問題点は、私がなんとかします)、お客様のご希望やご要望を聞くことで、自分がこれまでに増やしてきた引き出しを開け、一緒になってひとつのものを作ることはなによりも楽しいこと、選択だと思っています。

デザイン(意匠)という言葉が指す、心と技術。この2つが揃わないと成り立たないように、ご依頼をして下さる方が居て、私自身も制作を続けることができています。

現代、市場に対する自分の感覚
誰でも、簡単に、ものが作ることができる時代。それはとても素晴らしいことだと思う反面、単なる流行りのコピー品をオリジナルと謳ったり、中身のない表面的なものが溢れ、プロも、自称プロも、素人も、同一の認識。歴然とした差でさえ分からなくなったり、小手先のものが本物として通用してしまうのは哀しい。本質は何処。と、時に思うことがあります。

私自身の制作も、観た人がどのように感じるのか、捉えたのかが全てだと思います。

画一的な大量生産品が生み出された産業革命によって、19世紀のイギリスで起こったアーツアンドクラフツ運動(中世の社会に習って、職人芸を見直し、手仕事による日用品、生活空間をデザインすることで、生活の質を向上させる)が生まれた時代背景に現代は近いと考えていて、提唱したウィリアム・モリス、影響を与えたジョン・ラスキンの思想に感銘、共感を覚えています。(動植物、自然をモチーフに、素材価値に重きを置いていない制作が多いのは、源流がここに在る為です。)

萩に猪 3b
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誰から買うのか/どこで買うのか。流行りの物語/ストーリーという言葉は、勉強/実力不足を隠す為に響きの良い言葉を尽くすのか、誰かが物事を真摯に突き詰め向き合う生き様を愚直に伝えようとするのか。同じ言葉/単語であっても、大きな意味の違い、透けて視えることがあると思っています。

商業があるからジュエリー(ものづくり)があるのではなく、ジュエリー(ものづくり)があるから商業が成り立つこと。

なにより、ジュエリーを(壊れやすいこと、手元に残らないことも含め)消耗品にしたくないと思っています。



ものを作る人間であるのだから、作ったもので語れば良い。伝わる人には、必ず伝わる。

そう思っていました。ただ、言語化することはとても大切で、文脈(コンテクスト)を伝わるようにその場、限られた時間の中で簡潔に伝えられる語彙力、器用さを自分自身が持ち合わせていないことに気づいたので、ここに整理、まとめるように書き記させて頂きました。これまで、数年前の日記や、Instagramに書いてきたまとめ、抜粋です。

ひとつのものを、どのように作っているのか。
手作り、手作業がどこまでを指しているのか。

工房兼店舗では、まだ形になっていないもの〜完成したもの、過程も含めて、私の制作の全てを観て頂けます。

写真、文章を通じて、興味を持って頂けた方にお会いできる日、制作の機会を頂けることを楽しみにしております。観てみたい、知りたい。と思って頂けたらとても嬉しいです。

制作は、完全に寝食のように習慣付いているのですが、文章はなかなか思うようにまとまらない為、書きたい時に、少しずつ、今後も投稿させて頂ければと思います。

最後までお読み頂きありがとうございます。
Racconto、宮澤をよろしくどうぞお願いいたします。

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