見出し画像

髪染めについて

たった今、髪の毛を染めた。

何色に染めたかというと、黒色だ。
黒色に染めたというよりも白髪染めだ。

白髪は昔からある方だったが、最近では特に多い。目に余るほど多くなると時々染めるようにしている。
見た目で老化を感じるポイントのトップ2がシワと白髪と聞いたことがある。
歳をとるのも悪くないと思っているが見た目で「老い」を感じるとそれはそれで好ましくない。

何故なら見た目であからさまに感じる老いは「心の老い」へと繋がる気がするからだ。
「心の老い」はどうしても避けたい。「心の老い」は可能性を幾分か消極的なものにする。
「もう歳だから~」なんて言葉はとても便利で挑戦することを諦めるのにはもってこいなのだ。
学ぶときは時間を無限と捉え、挑戦するときは時間は有限だと捉えることが人生において必要な姿勢だ。
誰の言葉か忘れたが心の片隅に置いているとても大切な言葉である。


飽くなき挑戦。思えば何かをチャレンジすることは決して難しくないと思っている。
0から1にする行為はとても楽しい。
出来ないことを出来るようになる瞬間であるし、何よりも世界が広がる。
今まで知らなかった世界に触れることは「心の老い」という面からしても相反するものである。

難しいのは1から2と出来ることをさらに出来るようにすることだ。
遅かれ早かれ壁にぶち当たる。何回してもどうあがいても成長を感じられない時、人は挫折をする。
その壁を乗り越えたことにより、新たな楽しみや発見ができるのだけれどそれは0から1の努力より多くの努力を必要とする。


例えるなら初めて野球をしたとする。

バットにボールを当てることは比較的少しの努力で済んでも、ボールを更に遠くへ、または常に打ち続けるためにはそう簡単には行かない。
そのためには血の滲むような練習をし、能力を活かすための最適な方法を考えなければならない。

挑戦をすることは容易い。挑戦し続けることは難しい。僕はそう思っている。
ここで「難しい」なんて言葉を使うことにより、一層ハードルが高くなりそうで適当な表現ではないかもしれないが。

なんにしろ、黒染めをしたことにより自分自身で感じる「心の老い」を吹き飛ばすことができたのではないかと思っている。

風呂の中で髪の毛を染め、鏡を見て染め残しはないか何度もチェックをする。

眼鏡をしていないものだから鏡に顔を近づけ、満遍なくブラシを当てる。

綺麗に染まったことを確認したら洗髪をする。

これが髪を染める時の一連の流れだ。

おっと、忘れてはいけない。風呂に撒き散らした染料を綺麗に洗い流しておかないと、これが後で黒ずみとなって残る。
そのため、洗髪をした後に風呂用洗剤を周囲にかけてブラシで丁寧にこする。

これで終わりである。

こんな風に風呂の掃除まで気にかけるようになったことは最近のことである。
初めはシャワーで軽く洗い流しているだけだった。しかし、シャワーだけでは綺麗に洗い流すことができていなくて時間が経ち黒ずみになっていることがあったため、洗髪と同時に丁寧に洗うように心がけるようになったのだ。



高校三年の春休み。

それは新たな旅立ちの中、僕たちは浮き足立っていた。特に地元を離れる人は新生活への期待に胸を膨らませていた。
そんな時友達三人で、暁人君の家に泊まった。どっかで遊んだ帰りに泊まらせてもらうことになったのだと思う。
そこで髪の毛を染めることになった。暁人君の自室で染めていた。ほとんど染めたことがなかった僕たちは、キャッキャと言いながら暁人君の実家にも関わらず深夜に髪の毛を染めた。
同じ時間に染めたら、当然同じ時間に髪の毛を洗わなければならない。長時間洗わずにいると髪がギシギシに傷むからだ。
だからと言って風呂場は一つしかない。

風呂場には松居君が洗いに行ったから僕は暁人君の指示に従って台所で洗った。
当然、洗髪した後は掃除などしなかった。その後、暁人君の台所は黒ずみになっていなかっただろうか。
今になってそんなことを思った。


次回は「歯磨きについて」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?