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日常の中の日常について

記念すべき50回目にしてこのマガジン「日常の中の日常」は最終回を迎える。

別におめでたいことでもなければ自慢話にもならないが50話まで続けると決めて50話までたどり着いたということに一つの達成感がある。

明確な数字を目標に置き地道にコツコツと歩き続ける。これを達成した時、間違いなく自信に変わる。たったそれぐらいのことでと思う人もいるかもしれないが、今までそれをできなかった自分がいて、それを乗り越えられた自分がいるのだから間違いなく成長したことになる。

さて、これを読んでいるあなたの日常はどうだろうか。

学生だろうか。社会人だろうか。主婦だろうか。フリーランスだろうか。このカテゴリーに当てはまらない人もいるだろう。
それぐらい人間は千差万別で考えていることも違うし、主義も違う。今が「良い状態」の人もいれば「悪い状態」のひともいる。
「頑張れ」という言葉に救われる人もいれば「頑張れ」を呪いに感じる人もいる。だからと言って誰にでも受け入れられる言葉を探そうとすると、それは誰にも受け入れられない言葉であったりする。

僕は何度かこのエッセイで登場してきたラーメンズに救われた。うまく眠れないほど、どうしようもなかった日常でラーメンズのコントに大きく救われた。
僕は音楽であったりラーメンズのコントであったりエンターテイメントを欲するときは、どうしようもなく自分が「悪い状態」の時だった。気づけば脳内リピートをして現実からの逃避行だった。そこに救いを求めていた。だからもしそのエンターテイメントが自分にとって必要のなくなった状態こそが、自分の幸せな状態ではないかと思っていた。

幸せになりたい → 音楽を聴く → 救われる → じゃあ、もう音楽はいらない

こんな数式が出来上がっていた。だから音楽を欲さない状態になることこそが自分の生活スタイルなのだと思った。音楽を聴くにせよ、作るにせよ。
その「悪い状態」の時から数年がたった。自分の現状で何がいけないのか、今までどの方法や考えがいけなかったのかを考えて、ひとつひとつの行動や生活スタイルを見直した。
それは人とのコミュニケーションの取り方であったり、モチベーションの上げ方であったり、食やお金の使い方であったり。
結果今までできなかったことができるようになったり、自分をサクセスすることが楽しく思えてきた。数年前の「悪い状態」の時よりも幾分か人生の楽しさがわかってきた。
じゃあ、もう音楽はいらないのか、エンターテイメントはいらないのかというとそうじゃなかった。今だからこそ歌える歌があるし、今だからこそ聴ける曲もある。

ラーメンズのコンセプトはこうだ。
非日常世界の中の日常を描く。コント「斜めの日」とかはまさにそれだ。一年に一回、斜めの日というものがあり、その日は地球の軸がぶれ、建物や何もかもが斜めになるという設定だ。登場人物は斜めの時間帯までにケーキを買うのだが、時計の時間がずれていて斜めの時間に間に合わず、ケーキを傾けてしまうというオチだ。登場人物は斜めの日というものを疑わない。それはそのコントの世界の設定では至極当たり前の日常の出来事なのだ。一日中、太陽が登る白夜のように、年に一回斜めの日がくるという設定なのだ。

では僕が生活するこの日常はどうだろうか。
いくらかマシになった人生かに思えたがそれでも僕は平凡だ。突出した才能があるわけでもないし、目も当てられないほどの暗い過去があるわけでもない。自信に満ち溢れているわけでもないし、特別な人間的魅力で周囲を惹きつけるわけでもない。
人並みに劣等感を感じ、美味い酒に酔いどれる。
春になり桜に感動し、今日のような穏やかな日は鳥のさえずりに耳を傾け心を落ち着かせる。
誰にでも当てはまるような日常の中の日常だ。

ストレスを抱えるあなたや、夢を追いかけるあなた。どんなあなたであれこの「日常の中の日常」があなたの心をほぐす一翼を担えていれば、これは嬉しい限りである。
「日常の中の日常」を読んでくれた皆様に感謝したい。

「日常の中の日常」    君野ユウ


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