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自分の誕生日を忘れるの巻

先日、久しぶりの友人から連絡がきた。
最近は連絡をとる相手がめっぽう減ってきた気がする。寂しいかぎりだ。こうして環境とともに人間関係が変わっていくのかなと思うと寂しく思う。これが大人ってやつなのか。

なかなか鳴らない僕の携帯だがその日は珍しく朝から鳴った。
内容は誕生日おめでとうというやつだ。

ありがたいことに誕生日を覚えてくれている人がいたのだ。と思ったがきっとSNSによるお知らせで思い出してくれたのだろう。それでも気にかけておめでとうと言ってくれるのはありがたい。
ありがたくてとても嬉しいことなんだけど、自分が真っ先に抱いた感想は、そういや今日ってオレの誕生日やったな、である。

今年で33歳。数字で見ればなかなかのおっさんだ。見た目で見ても最近は白髪の数が増えに増えている。見た目も年相応と言ったところだろうか。
年々、誕生日という貴重さが薄れてきている。今年にいたっては忘れていたほどだ。それほどまでに自分の年齢というものに興味がなくなっている。
しかしこの年齢というものが今まで自分が生きてきた年数を示すものであり、なんらかの社会的な信用を得られる数字なら意識したほうがいいのかもしれない。

例えば、年齢による制限というものがある。
17歳では車の免許を取れないが18歳になれば車の免許を取れるようになる。19歳ではお酒を飲めないが、20歳になったら飲める。
法律的なところで言えばそれぐらいだろうか。

しかし、見た目年齢がもたらす年相応の信用というのがある。
20歳の若者が話す言葉と33歳の僕が話す言葉では、同じ言葉を話しても信用度はきっと僕の方があるだろう。そこそこ適当に生きている僕だが、なぜだかこの年齢という謎の信用度によって落ち着いて見られるという武器ができるのだ。これは信用だけに限らず、安心感や、説得力というのもなぜか備わっているように見えるのが年齢がもたらす産物だ。20代の若い女の子が好きなタイプが30歳以上とかっていうのはそういう意味だろう。見た目年齢というだけで、しっかりした大人に見えたりするのだ。

年齢というものはマイナスイメージで語られることが多いが、社会的信頼度を高める要素があるのだからそのメリットは存分に使うべきだ。
物事は両面で年齢という「老い」というマイナスイメージだけでなく「信頼」が備わってくる。

ではそのメリットである信頼をどうやって活かすかがポイントとなる。

信頼を活かすポイント、こうやって書きながら考えているのだがどうにも悪い使い方しか思い浮かばない。
デマカセを言って信頼を得るという騙す方法しか思い浮かばないのだ。これは困った。

年齢の持つメリットに気づけたもののその使い方がわからないとなるとお話にならない。
これは高性能のPCを手に入れたのに、そのPCの使い道がないのと同じことだ。

33歳、今年はなにしようか。
思えば、一年に何度も目標を決めるタイミングがあって困る。
新年が明けたとき、年度が変わるタイミング、そして誕生日を迎えるとき。

どの目標も進行途中で新たな目標を掲げるからいけないのだ。
なので誕生日には目標を掲げないでおく。
のらりくらり、33歳を謳歌するとする。


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