ビールについて
アルコールを飲めない人からしたらそんなもの知ったこっちゃ無いわけで、あまり豪語するのは憚(はばか)られる。
しかしながら、それでも敢えて言わせてもらうならばお酒が飲めてよかったと思う。
「お酒の味が分からなかったら人生の半分は損している!」
なんて言えば「お前の人生の半分は酒か!」と返ってきそうだが、ついついそんなことを言ってしまいそうになる程だ。
最近でこそビールを好んで飲むのだが、昔は全然そんなことなかった。
昔というか、ほんの数ヶ月前までは僕の中でビールは「とりあえず」のビールであった。
居酒屋に入り、席について開口一番に言う、まさにあれだ。
とりあえずのビールは、実はビールじゃ無くてもいいというところにある。
ビールじゃ無くてもいいのだけれど、店員さんが注文を把握しやすいようにとか、早く注文が届くようにといった多少なりの配慮がある。
だが、しかし、「とりあえずのビール」の大人感に引っ張られているのは間違いない。
所謂、ブラックコーヒーの件と同じである。
だから、二杯目以降はビールでは無く、ハイボールに切り替えることが多かった。
それが少しずつ二杯目も三杯目もビールを飲むようになり、今となっては僕の中でハイボールとビールの陣取り合戦が勃発している。
なぜ、こんなことになったかと言うと、ある人からビールを好きになった実体験を聞いたからだ。
その人は、
「今まであまりビールを飲めなかったけれど、ビール工場に見学に行き、その時に飲んだここの銘柄のビールは飲めるようになった」
と言った。
自分と同じようにあまりビールを好んでいなかった人が、好きになったビール。
なら、試しに飲んでみようじゃないかと思って飲んだのがきっかけである。
ただ単にここのビール美味しいよ。と薦められるだけで無く、実体験を含めたストーリーを織り交ぜられると自ずとその人の発言に説得力が増す。
ストーリーを絡めたプレゼン。恐るべしである。
そして、そこの缶ビールを買って飲んでみたら、これが旨いのだ!
そのビールは所謂、第三のビールでは無い。
だから値段的にもいい値段がするから美味しいのは当たり前なのだが、それを差し引いても旨い。
でもここからがいけなかった。
これで味を知った僕は、他にも自分の口に合ったビールがあるのではないかと思い、あろうことか一番高い銘柄のビールに手を出した。
問題の味はと言えば、当然旨いのだ。
旨いと言うか、不味いはずが無い。
辛くも無く、口当たりのまろやかさや泡のタッチまで好みの味だった。
そして、何がいけないかと言うと、習慣とは怖いもので毎日その高いビールを飲まなければ一日が終われない体になってしまったのだ。
第三のビールであれば、二本買える値段がするのだ。そして一本で終わるはずもなく、つまみも必要になってくるのだ。
それでもそのひと時は他には代え難いものがある。
そして、できるならばその時間を誰かと共有したい。
話は戻るが、友人や身近な人のオススメはできるだけ一度は聞き入れてみようと心がけている。
その人とは、共通点や、共通認識、または思い出を通して少なからずもお互いを認め合っている部分があるから友達なのだ。
その友達が好きなことは自分も大いに好きである可能性がある。
だからその友達の友達は無条件でいい奴だろうと思っているし、その友達の趣味も一度は経験したら人生観が変わるほどハマるかもしれないと思い、いつも少しかじってみる。
そして、その体験に触れることによって、その人の感性や気持ちを自分の中に吸収できるのではないかと思っている。
だから、僕は友達なり、身近な人があのビールがうまいよなんて薦められたら飲むし、誰かがいつもビールで晩酌してるなんて言えば僕も同じように自宅でグラスにビールを注ぐ。
そしてこんな正論じみたことを言って酒飲みであることを肯定した気でさえいる。
自分で酒飲みというのは如何なものか。
少し不恰好な気もするが、格好など気にしないことが格好いいよとぜひ賞賛していただきたい。
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