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#50 最後について

日常の中の日常2が最終回を迎える。


ここまで読んでくれた方に感謝を伝えたい。でも本当に感謝するならば、感謝の意を述べるではなく、いつも通りどうしようもないエッセイを書くことだと思っている。


だから今回、「最後」というテーマを使ってエッセイを書くことにした。



最後。



さいごという言葉を漢字で表すとき、二通りの文字が思い浮かぶ。
それは前述した「最後」と、あと一つは「最期」だ。


この「最後」と「最期」をできるだけ使い分けている。
同じような意味に聞こえるかもしれないが、これは明確に違う。

「後」という字は「後ろ」という意味で使われる。なので行列の最後はこの字になる。


なら「期」はどのように使うか。「この期に及んで」や学生で言うところの「一学期」「二学期」という区切りをつける時に使う。


少しややこしいが言わんとすることがわかるだろうか。



では「人生さいご」という場合はどうか。
この場合は「最期」と表記する。
人生の終わり。人生という区切りの最期という意味である。


つまり、「期」という字は本当の終わりを指す言葉である。
次に繋げる一縷の望みもない。僕はそのような解釈をしている。


もう会うことがない、もう続きがない。
それはリアリズムかもしれないが、とても寂しい。
今はほんの少しの別れだが、そのうちまた会えるさとJ-POPよろしくの生温い言葉を信じたくなる。


だから「最期」と書くととても縁起が悪い気がして、なるべくなら使いたくないと思っている。



そして、こんな言葉の切れ端を繋げ合わせたような文字の羅列を書き留めたエッセイ「日常の中の日常2」も最後としつつも最期にはならないようにと思っている。




こんなにも女々しいことを最後のテーマに持ってくるのは如何なものか。
しかし、これは最期ではなく最後である。


続きがあることを匂わせて今日はこの辺で失礼するとする。



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