書くということ
書くのは好きだけど何を書いたらいいかわからない。
私は感覚的な人間で、たとえば日常生活の中で自分にとって何か刺激的な出来事があったり人と接していて思うことがあったりすると、すらすらーっとそのことを書けてしまうけど、たとえばなんとなく考え事をしていてそのことを一生懸命文字に起こして書こうとすると途端に書く手がぎこちなくなる。
物事を説明するのは苦手だし、そして破滅的に下手くそだ。
私は感じたままに書くのが好きなだけであって物を書く技術があるわけじゃないから、今もけっこうよいしょよいしょと踏ん張ってなんとか気持ちを文字にしようとしている。
私は文章を書くのが好きだ。
中学3年生の頃、変な心療内科にかかり合わない薬を飲みイカレていた元不登校児による決死の「なんとか学校に通いたい」という破天荒な毎日を当時の流行りに乗ってブログに書いていたのだけど、楽しかったなあ。読者もそこそこいてくれて、コメントや拍手でのメッセージもよく来ていた。その中には小学校の新米教員という女性もいて、その人から「あなたはまだマシです!私なんて…」と嘆きと悩みのメッセージがきたりして驚いたものだ。それはとても大人が子どもに言うような内容ではなかったから、私は自分が大人と対等に話せているような気がしてしまって、正直ちょっとうれしかった。
拍手のメッセージ機能で毎日のようにコメントをくれていた当時29歳の男性は、弱々しい雰囲気だったけれどいつも優しく私を褒めてくれて、私はその男性との会話も毎日の楽しみになっていた。その男性をその時「おじさま」と称した自分は32歳になった今となるとものすごく殴ってやりたいが…。
同年代の友達もできたし、その頃は本当に充足感があったなあと思う。
「学校に通う」という身近な目標があり、毎日挫折しては毎日やり直すということができて、その様をブログに書けば反応をもらえてそうして自己肯定感も保っていられた。私は文章を書くのが好きだった。
当時中学生の人気ブロガーは今や立派な引きこもりとして生きながらえている。
文章を書くのが好きになったのは、やはり中学の時の経験からだろう。
ブログをやめてからもひっそりと自分だけが閲覧できるブログに書き殴っていたり、ノートに日記をつけてみたりと、書くという行為は続けていた。
けれども反応をもらえなくなった私はあの頃を思い出していっそう孤独を感じてもいた。
日記を読み返して自分で自分を認めてやるという作業ができたのは孤独×文章のいいところだったが、もうあの頃のようにキラキラした自分でないということは、文章を書きながら痛いほどにわかった。書くという行為には覚えるという作用がある。あの頃の満たされていた自分の感覚もまざまざと思い出せてしまう。つらかったけど、楽しかったな。そんな思い出に心が抉られていく。
そして今でも日記を書いていたり、書くことはやめられないでいるし、なんでも三日坊主の私が日記だけはなんとかかんとか続けられているのだから何か他にも書くことはできないかと、未だ書くことに取り憑かれている。そんな私はおそらく、文章を書くのが好き…ではあるのだろう。
書くという行為だけが唯一私が自分を認めてやれる時間になるし、書くということだけが私に充足感を与える。書くというそれは私にとって記録で、反省で、自己肯定で、努力しているという感覚を覚えられる唯一の手段だ。
皆さんは、書くことが好きですか?
どんな思いでnoteを書いていますか?
そして、私の文章を、どうお思いですか?
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