母の愛

10日(金)寝て過ごす
11日(土)眼球を負傷する
12日(日)眼科に行ったあと爆睡

そのため3日お休みをいただきました。ご了承くださいませ。

ちなみに眼球はコンタクトの付けすぎかな?というちょっとあやふやな診察結果。
右目に光が当たると(太陽もスマホの画面の明かりでも!)めちゃくちゃ痛くて、時間が経つごとに悪化していったので、日曜日でもやっている眼科を探して、行ってきたんです…。幸い失明のおそれはないと言われましたし、毎日4回の目薬で徐々によくなりつつありますのでご安心を。

この3日はそんな感じで勉強もまったくできていなかったので、目の痛みがマシになってきた今日こそは少しでもやりたい…と思い、本当に少しだけやりました。約25分。

こんな調子じゃ絶対に11月の高認に間に合わないんですが、どうにもパワーが!出ない!
今日もファミレスに連れてきてもらって環境を変えることで無理やりしましたが…それでも30分弱。
絵を描きたいという衝動があったのですが「勉強してから!勉強してから!」と自分のケツを叩けたのは、自分でめっちゃ褒めたいです。1教科の勉強をしただけで絵を描き始めちゃったのはちょっと自分に甘かったですけど!

苦手な理科系の勉強が始まったからか、教科が増えたことで勉強時間が増えたからなのか、やる気がかなり激減したような気がします。勉強を始めるまでの腰の重さが半端じゃない。なんだこれ。まあいいか、要はさっさとやり始めてしまえばいいんですよ!今もそう思いながらnoteを書いているわけですが!

毎回勉強の話ばかりじゃちょっとなんだから別のお話もしてみましょう。

母の日でしたね。
超がつくマザコンの私は、ちょっと独特な理由があって、今年は何もしていません。話すと長くなるので詳細は省きますが…。
ただ、実際の母親に何もしないのはその独特な理由があるからなので自分でも納得はいくのですが、小さな頃からお世話になっていて友人のようでもあり母親のようでもある女性がいらっしゃるんですけど、その方に何もできなかったのはちょっと悔いてます。

今日その方が家まで来てくれて(毎週会いに来てくれる)お話をしましたが、5人の子どもたちの母であるその方は「子どもたちから何かうれしいことを言ってもらえるんじゃないかと今年も期待してしまって、でも何も言ってもらえず、モヤモヤしてしまった」そうです。
ところが翌朝になって「子どもたちを見ていると性格もそれぞれあっておもしろいし、日がな成長を見せてくれていることが、母親としては一番のプレゼントなんじゃないか」と思い直したのだとか。

私は子どもを授かるのはほぼ不可能かつ可能だとしても授からない選択を渋々する人間なので、ちょっとうらやましいなと思いました。

子どもを育てるというのは、大変なことでしょうね。
子どもといえど相手は人間ですから、思いも考えも感情もある、しかも自分とはまったく別の個体なわけですから、親子でももちろんわかり合えないことだってあるでしょう。

私の実母は6年前に息子を自殺で亡くしています。(私にとっては弟にあたる人ですね。)
我が子を自殺にしろ事故にしろ病気にしろ失うというのは、どれほどのことか。
姉という立場と母という立場では、また苦しみも違うのだろうなと思います。

私は子どもを持つことへのあこがれが強い一方で、子どもを持つことの大変さ、おそろしさもまた感じています。

ただ、母の子どもとしての私は、とても幸せな人間だったのではないかと思っています。
私がどんな失敗をしても、どんな暴言で母を傷つけようとも、どんな状況でも私は母に味方でい続けてもらっていたのです。
それこそがおそらく、私の母にとっても私にとっても、母の愛だった。

愚直なまでに私のどんな言葉をも受け入れ、絶対的に信頼してくれていた母に、今はもう私の言葉は届きません。

「お母さんは何も間違っていない」

もう届きません。でもいつか母が死ぬまでに、ちゃんと証明したい言葉です。
この話も、またの機会に。

みなさんにとってお母さんとはどんな存在ですか?
私は、未だに世界で一番安心できてしまう場所です。

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