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ただの記録 ーなぜ勉強しなければならないのか?前編

 メキシコに来てから1か月あまり、まだ学校が始まらないこどもたちと自宅学習する日々が続いている。日本も今ちょうど夏休みだし、自宅学習の様子でも書こうかと思ったが、その前に勉強に対する私自身の考えをちゃんと整理しておきたくなったので、今日はメキシコと関係ない「ただの記録」です。
※これから書くことは私の仕事にも所属機関にも関係ない一個人の考えですのであしからず。

 学生時代、特に中学・高校の間、私は勉強が大嫌いだった。理由は「なぜこんなことをしなければいけないのか分からなかった」から。いろいろな大人や友達にインタビューもしたし、自分でもあれこれ考えてみたけれど、当時の私には納得のいく答えは見つけられなかった。とりわけ「大学受験勉強に意味はあるのか問題」にはずいぶん悩まされた。納得のいく答えをくれたのは、受験勉強が終わった後に出会った大学院の時の恩師だった。ミステリー仕立てにせず、もう言ってしまおう。受験勉強が苦手だったというような話を先生にしているときだったと思う。
 Y谷先生は煙草をくゆらしながら
「受験勉強っていうのはさ、ただの情報処理だから」
と言い放った。
 「ああ、そうだったのか」と長年つかえていたものがすとんと腹の底に落ちた。どうして私は納得したのか。先生の言葉は何を意味しているのか。これからゆっくり説明していくよ。
 で、やっぱり長くなってしまったので分けました。まずこの前編では、これまでもらってきた様々な答えに、なぜ私が納得できなかったのかということを考察しよう。要するに、よく言われてるようなことへの反論まとめ。

 「なんで勉強しなくちゃいけないの?」
 そう聞かれて困った人は多いと思う。私の結論を言えば、「勉強はしなければならないし、勉強することに意味はある」。問題は「なぜ」の部分だ。ここを解き明かさないと誰にも納得してもらえない。そこでまず、よく耳にする一般的な主張を挙げてみよう。他にもあったら考察するので教えてほしい。
①将来の役に立つから
②就職に有利になるから
③職業選択の幅が広がるから
④若いころに努力するのは大切だから
⑤勉強はできないよりできた方がいいから
⑥勉強は学生の本分だから
⑦やるべきだからやるべし
⑧自分が勉強してよかったから/自分が勉強しなくて苦労したから
⑨そんなこと考えてる間に英単語の1つでも覚えてほしい
⑩それはつまり「勉強したくない」ってことでしょ
⑪人生が豊かになるから
さしあたりこんなところだろうか。これ全部、当時の私にとっては論拠に乏しい、説得力に欠ける主張だった。では、考察していきましょう。

①将来の役に立つから②就職に有利になるから③職業選択の幅が広がるから
 これらは、未来を目的として考えて現在をその手段にするという前提に立つ点で共通している。なので、この主張の説得力を挙げるには「現在の勉強は未来で必ず役に立つ(手段として有効)」ということをちゃんと証明する必要がある。で、これって無理じゃない?確かに、この証明ができるような雰囲気ただよう時代もあった。高度経済成長期みたいに、時代はどんどんよくなってくっていう風潮をみんなが共有していた時代には、それなりに説得力もあったと思う。学歴が強力なカードになった時代とかね。でも、今は違う。今の時代に共有されてるのは「この先どうなるか分からない」ってことじゃない?就活だってコミュニケーション能力とか学歴以外のファクターが重視されて久しい。だから、この勉強が将来必ず役に立つという確証はないっていうのが正直なところじゃないだろうか。
 でも、そうすると「分からない世の中だからこそ勉強くらいはできないと!」って反論することもできる。でもさ、そもそも勉強することの意味が分からないって言ってる人に「勉強最強説」を唱えても何か詐欺っぽくない?投資する意味やメリットが分ってない人に「とにかく将来絶対得するから今この株を買うべき!」って力説しても怪訝な顔されるだけでしょ。
 でもね、①②③は確かなの。要は「勉強する」ことと「役に立つ」ことをどう捉えるかで、まったく違う議論になる。このことはまた次回以降で。

④若いころに努力するのは大切だから
 これは確かにそうかもしれない。だけど、そうだとすればこの努力が勉強でなければいけないことの説明がさらに必要。「若いころの努力」なら、スポーツでもテレビゲームでも漫画でも料理でも筋トレでも何でもいいじゃんってなるから。
 あと、これも次回以降で詳しく書くけど、大切なのは、闇雲な努力(とにかく根性で頑張れ)や量重視の努力(毎日8時間以上の勉強)じゃなくて、自分に合った努力の仕方を若いうちに知っておくことだと思う。そのためには色々試してみないといけないので、時間のある学生時代のうちにトライ&エラーしまくって見つけておくのがベストだ。ただ、④だけを繰り返し主張する人がそこまで考えて言ってるかは分からない。

⑤勉強はできないよりできた方がいいから
 何だってそうでしょって言われたらどう返す?「勉強だけが特にそうだ」と言うためには別の根拠が必要になるはず。この点は④とも似てる。
 でも⑤の特徴は「できた方がいい」っていう部分。「〇〇の方がいい」っていう主張はそもそも弱い。人によってそれぞれでしょって片づけることができるから。たとえば、車は運転できた方がいいし、天気は晴れの方がいいし、リンゴは甘い方がいいって主張しても別におかしくないでしょ?でも、私は駅前に住んでるから車を持つ必要を感じないし、インドア派なので雨の日にする読書の方が好きだし、リンゴは酸っぱい方が好きって言う人が現れたらどうする?まぁ人それぞれだよねって、その人とは、議論がずっと平行線になっちゃう。要するに「できた方がいい」くらいの強さで人を納得させるのは難しい。

⑥勉強は学生の本分だから⑦やるべきだからやるべし
 これらは何か言ってそうで何も言ってない類の主張。学生の本分が勉強することだからそれが「やるべきこと」だったとしても、投げかけられているのは問いは「なぜ学生の本分が勉強なのか」でしょ?「どうして雨は降るの?」と聞く子に「雨が降るからよ」って答えても答えたことにはならないのと同じ。
 とはいえ、⑦は特にシンプルだからこそハマれば強力だ。ただ、⑦が効力を発揮するのは、この「すべき」を自ら引き受けて(自分で自分に自律的に命じて)、「すべし」化したとき以外ないと思う。つまり、他の人から強制されてもピンとこないのだ。持続可能なやる気スイッチは、自分自身でしか押せない構造になっているってこと。残念ながら。

⑧自分が勉強してよかったから/自分が勉強しなくて苦労したから
 自分の経験を元にするなとは言わないけど、サンプル数1(=自分)で、主張を組み立てても弱いものにしかならない。加えて、世代が違えば生きている社会状況も社会通念も違うので、どこまでその人の経験を自分の経験に重ね合わせたらいいか判断がつかない。例えば、親の経験を信じて勉強してきて、自分が大人になったとき「勉強ができる」ことが強力なカードではない社会が到来していたら、どうする?親を恨む?親を信じたことを後悔する?それってもうなんかすごくしんどい。
 とはいえ、他の人の経験はまったくあてにならないと言ってるわけではない。他の人の経験はチャンスがあれば必ずつかまえて、はちゃめちゃに聞いておく方がいいと思うし、どんなに世代や価値観が違っていても聞いておいて損はない。私が言いたいのは、他の人の個人的な経験はどんどん参考するべきだが、論拠にするのはリスキーだっていうことだ。参考にするっていうのは、取り入れるときもあれば取り入れないときもあるっていうことだが、論拠にするっていうのは、それを基礎にするってことだから、うまくいかなかったときしんどくなるよねって話。それでも「私が〇〇だったから、あなたも…」と言いたいなら、自分の経験を他人の人生の基礎にする責任と自覚を持つ必要がある。でもそれって親なら当然だ、血がつながっているんだから子の人生設計の基礎を親と同じにするのは何も問題ないと言いたい人もいるかもしれない。だとしたら、血縁の確実性についてのさらなる説明が必要だよね。

⑨そんなこと考えてる間に英単語の1つでも覚えてほしい
⑩それはつまり「勉強したくない」ってことでしょ

 こういう感じのことは、中学や高校のとき、私もよく言われた。特に、学校や塾の教師から言われた記憶がある。この類の答えは、答える側が「なぜ勉強しなければならないのか?」という問い自体が無意味、あるいは勉強の邪魔だと考えていることだけを伝えている。つまり、問いに答えていない。答える気がないのか、答えが分からないからはぐらかしているのか分からないが、問いかけた側からすればとにかくまともに取り合ってもらえなかったという印象だけが残る。自分でちゃんと答えられないようなことを他人(=学生)に強制するってどんな反社だよって当時の私は思っていた。
 ただ、私も大人になってから気付いたのだが、「考えても分からないことをごちゃごちゃ考える前に、とにかくやってみろ」という教えは時に正しい。百聞は一見に如かずだし、自分の実力不足や経験不足で答えが出せない(考えるだけでは分かり得ない)こともある。そんな案件は「考える前にやってみる」ことの方が大切だ。たとえうまくいかなくても「やってみる」ことには常に意味があるから。
 それに、当時の私はやっぱり教師たちが見抜いていいたように、この厄介な問いが解決しないことを盾にして「私が勉強しない大義名分」にしていた所はあったと思う。だからこそ、まともに取り合ってほしかったわけだけど。

⑪人生が豊かになるから
 
これは確か。でも、これだけでは説明が足りないので説得力に欠ける。少なくともこの場合の「人生」「豊か」の意味を確定しないとすっごくうすーい主張になってしまう。「人生」を「生活」、「豊か」を「金銭的豊かさ」と考えるなら「お金になることを勉強をして生活を金銭的に楽にしよう」っていう現実的な展開になるだろう。対して、「人生」を「生きること」と広くとり、「豊か」を「精神的豊かさ」と考えるなら、「どんな勉強も生きることを彩ってくれる」っていう、さっきとは真逆のちょっと浮世離れした感じにもなる。
 だから、この類の「なんか深いこと言ってそう」な主張をしたいなら「その心は?」と聞かれたときに備えて、ちゃんと詳しい説明ができるように言葉の定義を確定しておかなければならない。


…と、このように反論ばかりしてきたわけだが、①~⑪のどの主張も私は間違っているとは思わない。ただ、説得力に欠けるとは思っている。こどもだって馬鹿じゃない。
 それに、世の中にはそもそも「なぜ勉強しなければいけないのか?」なんて問いが浮かばない人もいる。それはそれでその人の特性だし、なんなら「なぜ」を考えずに動けるタイプの人が私は少しうらやましかったりもする。ただ、私は昔から「なぜ」が気になるタイプだったし、一度浮かんだ問いをなかったことにもできないからずっと考えてしまう。良し悪しだ。どちらがすごいとかじゃない。みんな、自分の特性とうまく付き合う仕方を体得するしかない。だからもし、私と似たタイプだったり、似たタイプが周囲にいるという人がいたら、次回からの「私の答え編」を気長に待っていてほしい。私の意見に過ぎないけど、自分なりに出したこの問いの答えを整理していくので、乞うご期待(笑)

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