「最後の恋」について考えてみた、
先日、バチェラーで最推しのもりもり制作の【フォト&短編エッセイ集】が届いた。
そういえば、クラウドファンディングで支援させてもらったっけ。そんなことを思い出しながら封を開ける。すると表紙の儚げなもりもりに目を惹かれ、気づいたらどっぷり読みふけっていた。
この作品のテーマは「最後の恋」。
あなたにとっての「最後の恋」はいつ?どんなものだった?
学生最後の恋、10代最後の恋、などなど「最後」といっても色んな最後がある。いろんな人の最後の恋は、甘酸っぱかったり、ほろ苦かったり、なんだかんだ恋愛でしか生まれない感情って沢山あるよな、、最高やな、、という気持ちになった。
私自身、その時々で印象的な「最後の恋」が思い出されるが、まだまだ色鮮やかに心に残り続けているのは、やっぱり約7年間付き合っていたY君である。
ちょうどこれを書いているのが夜21時過ぎ。とてつもなくエモい、というか恥ずかしい文章になるのは承知の上で、私のこのY君との最後の恋について綴っていこうと思う。
***
彼との出会いは、大学1年の大学祭実行委員。夏に全員で旅行(通称"夏旅")をするのだが、彼も私もその夏旅の企画メンバーに駆り出された者同士だった。
そして、これは学生時代によくある話だと思うのだが、夏旅が終わると同時に私たちは付き合い始めた。いわゆる"夏旅マジック”だ。
おそらくお互いにちゃんとお付き合いするのは初めてだったかと思う。私もグレーゾーンみたいなものこそあれど、彼氏としてお付き合いする人はY君が初めてだった。
母に友達の家に泊まるだなんて言って向かった、初めての2人旅。京都。
お互いに実家暮らしで学生だったから、よくみかん山公園で終電までおしゃべりしてたっけ。
自転車二人乗りで駆け巡って、おまわりさんから必死に逃げた、あの夜。
彼の影響で聴き始めたRAD、backnumber、ワンオク等、邦ロックの数々。
おしゃれになんか全く興味のない彼の全身ワントーンコーデに突っ込む私。
振り返ってみると、眩しくてキラキラしたものしか思い出されないのはなんだかずるいな。
もちろん、沢山喧嘩もした。感情表現が苦手な彼に対して、「何を考えているのかわからない」「言葉や表情で示してくれないとわからない」と感情で生きている人間である私は、何度この言葉をぶつけただろう。
そんな私に対して彼はいつでも向き合ってくれたっけ。なんだ、彼のが大人じゃんか。今更気づいちゃってさ。なんだこれ。
私が大学4年の頃、インターンで地元を離れて関西で一人暮らしをすると伝えたときも、「やりたいことなんでしょ?就職は地元離れたいって前から言ってたし、それが1年前倒しになっただけだよ。大丈夫。」と彼は背中を押してくれた。感情が表情に出ない彼だから、その時は気づかないふりをしていたけど、きっと寂しかったんじゃないかって思う。
そして私は宣言通り、地元を離れて東京に就職した。それでもほぼ毎日「おはよう」「おやすみ」のLINEは続いていた。
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2年後、大学院に進んだ彼もついに就職。彼が新しいステージに進むのは嬉しくもあり、なんだか少しさみしかった。この頃からだろうか、少しずつ、私たちの歯車は噛み合わなくなっていく。
大企業に就職し、安定したゆったりとした暮らしを望む彼。
かたやベンチャー企業(しかも社員7名とか)に就職し、傷だらけになりながらも、いつでも全力疾走している私。
私も仕事の話はY君にはしなかった。したかったけど、出来なかった。私が社会人で彼がまだ学生の頃、「今は俺といるよね?」と、仕事の話をしすぎて喧嘩になったことがあったからだと思う。遠距離しながら、社会人と学生で付き合っていた約3年はお互いの心を遠くに遠くに引き離すには十分すぎる時間だった。
そしてY君社会人2年目、私社会人4年目の春、私たちはさよならをした。
彼は最後に泣きながら私に言った「人間にしてくれてありがとう。」
今となってはツッコみどころが多すぎる迷セリフだが、これを言われた当時私は、彼の元カノとしてやれるだけのことはやった気がすると感じていた。もし別れる日がきたとしても、次の彼女に恥ずかしくない男になってほしい、とずっと願っていたことだったから。もしかしたらその気持ちが強すぎて母みたいになってしまったのかもしれないけど。そこは反省しとく。
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ちょうどこの前のGWで彼と別れて1年が経った。コロナ自粛で時間もあるし、断捨離でもするかと、沢山のものを処分した。そう、彼との思い出たちにも「ありがとう」とようやくさよならを告げた。その分、新しい思い出を詰め込むスペースも出来た。
さあ、次はどんな恋をしようか。一体どんな人を好きになるだろうか。「最後の恋」について考えてみたら、次の恋がしたくなった。
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