なぜこの境遇を選んだのか?



私は物心ついた頃から、
「誰も可愛がってくれないのに、話を聞いてくれる人もいないのに、
私はなぜ生まれてきたの?
私が生きている意味はあるの?ないよね。」
をずっと思って生きてきました。

お母さんのお姉さんたちは私のことを心配してくれていたけど、
お姉さんたちも正規の仕事とそれぞれの家庭を持ち、会いに来るのに半日以上かかる距離にいたため
頻繁に来てくれることはできませんでした。

それでもお母さんのお墓参りに来てくれたり、手紙を送ってくれたりお年玉をくれたり
私を気にかけてくれたことを、とても感謝しています。

「近くに住んでいたらもっといろいろしてあげられたのに。」
とよく言われていました。
私も、(お母さんはなぜこんなに遠くにお嫁に来たんだろう
伯母さんたちの近くで結婚していたら良かったのにな。)
とずっと思っていました。


生きてきた環境で性格が決まるということは、
なぜ私はこの環境を選んだのか?
トラウマ回復の過程でこのように考え始めました。

子どもの頃家に一人で居た時
お湯を沸かしたり、レトルトを温めるためにガスコンロを使い
そのままつけっぱなしで忘れていても、のどが渇いて水を飲みに行ったら火がつけっぱなしに気付いたり、
なんとなく台所に行ったらガスがつけっぱなしで、忘れていたことに気付いたことがよくありました。

自分でも不思議でしたが、なぜか私は
「ガスをつけっぱなしにしても私は気付くんだ。」
という変な自信を持っていました。

小学校1年生の頃から家に一人で留守番をしていて
火遊びをしていた時も、偶然近所のお姉さんが家に来て見つかり
お父さんに怒られましたが、めったに来ないお姉さんが来たのも不思議でした。

火遊びと言っても、お父さんがタバコを吸うのでライターが近くにあったため
子どもの私は、火をつけてみると綺麗だなぁと思ってライターの火を見ていただけです。
今思うと、火事になる可能性もあったので危ないですが。


なので、子どもの頃からなんとなく何かに守られているような感覚はありました。
子どもなので、それが何かとか深く考えませんでしたが…

話がそれましたが、私はなぜこの境遇を選んだのか?
子どもの頃は、お母さんがいる人が羨ましい。
成長してからは、お金持ちが羨ましい、
明るくていつもまわりに友達がいる人が羨ましいなどと思っていました。

でも、目に見えるものが全てではないと気付きました。
そして大変な境遇に生まれてきたのは、
それだけ大きな何かを成し遂げなければいけない責任があると思うようになったのです。

大好きなお母さんが亡くなってしまった経験をした私が
命の大切さをたくさんの人に伝えなきゃいけないんじゃないか?
生きているだけでいいと伝えられるのは私なんじゃないか?

お父さんのような、自尊心が低く子育てに向いていない人でさえ、
反面教師として、私に影響を与えてくれました。
だから、生きているだけでいいんだと思うことができます。

お父さんを憎んだ時期もありましたが、回復していく中で
お父さん自身もトラウマを抱えていて、辛い中必死に生きていたんだと気付いたんです。
そもそも、幸せな人は人を否定したりしませんから。


そして私が経験したことによって、人に伝えられることがある。
そう考えるようになって、このブログを書き始めたのです。


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