お母さんへ2


お母さんが亡くなってから、幼稚園の間
あまり覚えていないけど、私はお父さんの親戚に預けられたようです。


幼稚園の時、私は手がひび割れになりました。
手の甲にひび割れの模様ができて、痛いような痒いような感覚だったのを覚えています。
でも、心配して手当してくれるお母さんもいない。
幼稚園の先生が気付いてくれて、クリームを塗ってもらったことが嬉しかったことを覚えています。


それ以外は、お父さんが作ってくれたお弁当にイチゴが入っていて、
幼稚園では、冬にお弁当を保温してくれる冷蔵庫のような物に入れられるので
ぬるいイチゴを食べた記憶くらいです。

他に幼稚園の時の思い出といっても、あまり思い出せません。

昔の幼稚園は親が送り迎えしないで、先生と子どもたちで帰ってきたような気がしますが
それも記憶が定かではありません。
もう、聞きたくても聞く人がいなくて何も分からないから。



少ないお母さんの写真には、楽しそうな笑顔がないよね。
生活費をくれないような夫と、お見合い結婚をしてすぐに子どもを産んで
これからどうしよう、とずっと考えていたと思います。


お姉さんの所へ行きたいってずっと言っていたんだよね。
それはお父さんと離婚するってことだよね。
お母さんが旧姓で書いた履歴書が仏壇にありました。
扶養の欄に私の名前も。

お母さんは、離婚して私と二人で、お姉さんの近くに住もうと考えていたんだよね。
でもその矢先に…



私は正直、もっと早く離婚してほしかったです。
そしたら私はお父さんじゃなく、お母さんのお姉さんに育てられたでしょう?
従妹のお姉さんもいたから、そのほうが良かったと思います。


人の家で暮らすのは気を遣うだろうけど、家に一人で放置されることもなく
食事もちゃんと栄養のある物を食べることができる。
悩みがあったら、伯母さんや従妹の優しいお姉さんに相談できる。
服もちゃんと買ってもらえる。
生理用品もちゃんと買ってもらえる。

ピアノも習うことができたし、きっと塾に通うこともできたよね。
母親代わりの伯母さんと、優しい従妹のお姉さんがいてくれたら
私の性格も、今と全く変わっていただろうね。


伯母さんの所で暮らせていたら、助けを求めたら助けてくれる人がいるって学ぶことができたのに。
小学生の時お父さんにピアノを習いたいと言ったけど、置く場所もないし高いから買えないからと
習わせてもらえませんでした。
従妹のお姉さんがピアノを弾いていたから、私も弾いてみたかったんだよ。
お母さんが生きていたら、お母さんに教わることもできたのにね。



お父さんとろくに話をしなかったから、大人になってから
近所の人から、私がお母さんのお葬式の時に
棺に入っているお母さんを見て
「お母さんをあんな入れ物に入れちゃダメ!」
と言ったことを聞いて、切なくなりました。
その時の私は、言いたいことをちゃんと言える子どもだったんだね。
それに、お母さんが死んじゃったことも
まだ理解できていなかったんだよね。



お母さんは、最期どんな気持ちで天国へ行ったんだろう。
もっといろんなことを伯母さんに聞いておけば良かったよ、お母さん。

よろしければサポートをお願いします。クリエイター活動の費用として使わせていただきます。