ちょっと娘について書こうかな💦〘その2〙

保育園にはそのまま通園していた。
難聴学級の先生が難聴児の対応の仕方を保育園に教えていただき、保育園の対応も変化した。
私の父が亡くなり(その頃には補聴器の試着をしていた)、保育園を卒園して小学校に上がる時、小学校で娘の対応の仕方を記載した資料を作成して、小学校で娘に関係する先生に時間を取ってもらい、3年生まで説明会を開いた。
4年生の時は引き継ぎで資料が先生に回され、解らなかったら私に聞いてもらうよう対応してもらった。

ちなみに小さい頃の娘は話している内容が解らず、よく3歳下の息子に通訳してもらっていた😅

小学校では他校にある難聴学級に通級していて、通級のイベントは楽しんでいたけど、通常の授業は先生との相性が噛み合わなかったりすると中々、進まず泣いて帰る事が多々あった。

保育園の時の難聴学級で出会ったママ友は、今でもLINEをやってるし、小学校の時に出会った難聴学級のママ達も何人かと連絡を取り合ってる。

中学校も説明しには行ったけど、娘が「自己紹介の時に話すからいい」と言っていたので、あまり学校には行かなかった。
中1の11月~不登校・引きこもりが始まり、12月~中3までチャレンジ学級でお世話になった。

ちなみに高校はチャレンジ校(主に不登校や引きこもり、中途退学した人達に勉強の場所を提供する)で3部制(朝・昼・夜)編成で、娘は昼の部に登校している。
普通の高校と違って、自分が解らない所を復習しながら、〘自分がどんな夢や仕事をしたいのか、その夢や仕事を達成するにはどうすればいいか〙を模索しながら単位を取得していく……説明しづらいけど、大学のような感じかな💦

娘が何者になろうとも、親としてサポートして行く事には変わりない💦

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