輪るピングドラム【感想文】


アニメが好きです。

物語の隠喩は常に無意識に語りかけ、気づきを与えてくれるからです。

その中でも1番と言ってもいいほど、ステキな作品。

キラキラと可愛らしい作画とは裏腹に、物語は非常にシリアス。

あらすじ

 双子の高倉冠葉、高倉晶馬そして、妹の陽毬は3人で暮らしていた。しかし、陽毬は不治の病をわずらっており医者からは余命宣告をされていた。
「水族館に行きたい」陽毬の願いを叶えるために、兄たちは家族で水族館へ向かった。ところが、陽毬の容態が急変し、陽毬は帰らぬ人となってしまった。悲しみにくれる兄2人。最期に水族館で買ったペンギン帽を陽毬にかぶせてあげた。すると突如「生存戦略!」と声を上げ、プリンセス・オブ・クリスタルという人格とともに陽毬は生き返ったのだった。「ピングドラムを探すのだ」彼女は兄2人にそう告げた。ペンギン帽の力に頼らず陽毬を生かすためにはピングドラム探すしかない。「ピングドラム 」とは一体何なのか。そして、「生存戦略」とは。ピングドラムをめぐる物語が始まるーー。

感想

陽毬を救うために、兄2人が奔走します。
ピングドラムが核となり、物語が進行しますが、もちろんその行手には事件や障害があります。一見、感動のストーリーではあります。しかし深掘りすると、さらに面白味が出る良作です。

与太話

 このアニメのテーマは「愛」です。そして、それに連なる「生と死」「罪と罰」物語の土台に『銀河鉄道の夜』が使われていることは、察しのいい方はお気づきでしょう。兄2人の名前です。冠葉は「カンパネルラ」、晶馬は「ジョバンニ」加えて、いきなりアニメ冒頭にその関連をダイレクトに伝える会話が出てきます。さらに、作中に地下鉄サリン事件を彷彿とさせる事件の存在もあります。村上春樹も引用されていて、もはやそれだけでも個人的にストライク…。
 今、自分たちが生きている社会(人と人とのつながり)に対して、一石投じていることがヒシヒシと感じられます。また「何者にもなれない」というこのセリフは非常に刺さります。もし現実で何者にもなれなかった人は、一体どうなるのでしょうか。作中では「透明な存在」として表現されています。朝井リョウ氏の『何者』という作品もありましたね。知っている方は想像がつくかもしれません。

 この「輪るピングドラム」というアニメは、今の社会を生きる人々へのいわゆる「透明な存在」になってしまわないよう「生存戦略」をするため、自分たちは「ピングドラム 」を探さなくてはならない。というメッセージをこの物語を通して伝えています。



 

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