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【日記】健全な自傷行為/月曜午後はじまりのカレンダー/習慣がわたしを支える/青木まりこ現象/離婚届のサイン/性と美/センチメンタルデフレーション

日記

2020年10月5日(月)
温浴施設の館内着のような快適な服、ストレスなく地面をふみしめて歩ける平らな靴(もしくはいっそ裸足)が好きなことに変わりはないが、引っ掛けたらすぐにやぶけてしまいそうな薄いストッキングをはいて、7.5cmのほそいヒールの靴で、コンクリートのかたさを足指のつけねのあたりに響かせながら歩くとき、うんうん、生きているなと実感する。ある種、健全な自傷行為に近い。

日曜日の夜の魔物がまだそのあたりにひそんでいて、朝から気分が落ち込んだ。昼ごろようやく浮上する。わたしは月曜の午後はじまりのカレンダーで生きている。労働は精神に良い。労働と習慣がわたしの心身をささえている。

このごろ、忘れ物なくしものが多い。無駄にお金をつかってしまうことも、愛着あるものがなくなることも、たとえばこのノートにはこのマーカーと決めていたルールを変えなければいけないこともかなしい。手づくりした布のマスク、お気に入りを買った傘、黄色のマーカー。注意して生きる。明日から。


2020年10月6日(火)
やはり習慣はわたしを支える。23時前に就寝、4時半に起床。
例によってタスクリストに引く用のマーカーをなくしたので、買いに出たがこの時間はコンビニくらいでしか買えない。ローソンに置いてあったのが、わたしがあまり好きでないマーカーだったので、ファミリーマートまで歩く。ファミリーマートには5本入り500円のものしかなく、そんなに何色もいらないなあ、と悩んでいたところ、なつかしい赤えんぴつがあったので、マーカーのかわりに赤えんぴつを買った。赤えんぴつで、できたところにぐりぐりと赤マルをつける。わたしがわたしの先生。

帰り道、タイムフリーで聴いた伊集院氏のラジオで谷崎 潤一郎『痴人の愛』『春琴抄』の話。読みたくなり、駅前の本屋にかけこむ。あ、そういえばあの漫画の発売日はいつだっけな、と漫画コーナーに寄り道すると、好きな男が好きな漫画家(田島 列島)の作品が目立つところに平積みされており、にやりとする。サインもあった。
さて谷崎を、と、棚の間をふらふら彷徨っていると、案の定腹痛に襲われ(青木まりこ現象)、漫画の予約をすることも谷崎の本を買うこともかなわず無念の退店。本屋に向いていない。歩きながら、腹痛はおさまる。

夜は22時までに寝る準備をすませ、こんど離婚する兄が離婚届をもってやってきたので、証人欄に名前などを書いた。兄の本籍がちがっていたので尋ねると、結婚すると本籍が変わるんだよ、知らないのか(兄はすぐにばかにしたような言い方をする。どうせ自分も結婚するまで知らなかったくせに)と。もし今後自分が本籍を変えることがあったら、好きなサウナ施設の住所にしたりして、と妄想するが、好きなサウナもホームサウナも変わりゆくもので、サウナ心と秋の空。出会いと別れ。

布団にはいって、友人が教えてくれたおんなの裸を美しく撮る/録るひとの作品を見ていたら、眠るのが遅くなった。23時ごろ、目をつぶる。性と美は、池の周りを反対方向に向かって歩くたかしくんとつとむくんのようなもので、背を向けあっていたはずのものがいつの間にか出会っている。 

2020年10月7日(水)
空気が澄んできた。
4時半、起きて窓を開けると真っ暗ななかにも金木犀の香り。永遠に金木犀が咲き続けたらいいのに、と、よからぬことを思ってしまって、すぐに訂正してお詫び(誰に?)
たった数週間だけ、ひとは、この香りに紐づけられたさまざまな記憶を思い出すことができる。たった数週間、街じゅうにセンチメンタルが香る。たった数週間。その儚さこそ。世間よ、どうか、金木犀の香水なぞ流行らせてくれるな。どうか。

フリーライターの宮崎さんが先日、小学生ぶりに毎朝詩を暗誦することにしたと言っていたので、わたしが暗誦したことがあるのは平家物語と枕草子の冒頭くらいだけど、真似してためしにやってみたらこれが面白い。学ぶことは真似することからはじまる。
どうやらわたしは、声に出しながら、頭で情景を思い浮かべて覚える癖がある。たまに、からだも動いている。
今日は谷川俊太郎の『愛について/愛のパンセ』から、「夕方」
詩を声に出して読むと、気持ちがいい。詩は声に出して読むためにあるのかもしらない。詩集はいくつか持っていたはずだが、ほとんどどこかにいってしまった。