「葛飾」(東京・千葉・埼玉)の歴史

「葛飾」と聞くと、東京都葛飾区のことだと思う方も多いかもしれません。しかし、「葛飾」というのは本来、東京都、千葉県、埼玉県にまたがる広域地名です。武蔵国と下総国の境界が江戸時代に墨田川(隅田川)から江戸川(但し、行徳可動堰から下流は現在の旧江戸川※)へと変遷した一方、広域地名としての「葛飾」の範囲は江戸時代とさほど変わっていません。

※現在の江戸川(行徳可動堰から下流)は江戸川放水路、現在の荒川は荒川放水路。いづれも明治維新以降に建設された。

広域地名としての「葛飾」は、現在の東京23区東部(墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区)、千葉県北西部、埼玉県極東部です。明治維新以降、東京23区東部が南葛飾郡に、千葉県北西部が東葛飾郡に、埼玉県極東部が北葛飾郡となっていきました。現在は実質的に総武線/京葉線方面と常磐線方面に二分されているとは言え、広域地名としての「葛飾」がもっと意識されアイデンティティになれば良いと願っています。都民だからと言って、同じ「葛飾」の住民なのに千葉県の公立図書館で本を借りられないのはおかしいと思う訳であります。

話はここからややこしくなってきます。「葛飾」に馴染みのない方にはここまででも十分ややこしいと思いますので、コーヒーブレイクでもしてから続きを読んだ方が良いかもしれませんね💦 大学院生がそんなものを勧めるなというお叱りの声も聞こえてきそうですが、Wikipediaで「南葛飾郡」などの記事を読むと地図も載っているので分かりやすいと思われます。最終的に専門書を読めば良いだけです。プロの研究者だってWikipediaを入口として使うことはありますよ。無料の百科事典というコンセプトは素晴らしいと考えていますので、寄付したこともあります(300円程度ですが……)。

さて、広域地名としての「葛飾」のうち概ね現在の千葉県に属する範囲は「東葛飾」と名付けられました※が、今や「東葛飾」では全面的な市制施行が為されており、東葛飾郡は存在しません。戦後、町村の市への昇格が相次ぎ東葛飾郡の存在感が薄れていく中、千葉県庁は総武線/京葉線方面を「葛南」と名付けました。「葛南」は「東葛飾」の一部(浦安市、市川市、船橋市)だけでなく、本来「葛飾」に含まれない八千代市、習志野市をも含んでいます。ややこしいですね。「南葛飾」と「葛南」は全く異なる地理的範囲を意味します。

私は東京都「南葛飾」に住む都民ですが、しばしば京成本線に乗って千葉県「葛南」を楽しみます。「葛南」は良いですよ。残念ながら「南葛飾」は大学進学率が低い地域ですので、我が子を大学へ進学させる気のある移住希望者の方にはなおさら東京都「南葛飾」より千葉県「葛南」をお勧めします。もっとも、「南葛飾」と比べて道路の整備状況が悪い、東日本大震災並みの非常事態となれば給電を打ち切られる等のデメリットもありますが、JRの電車特定区間(かつての国電区間)内でありながら安くて広い家、きれいで広い街並み、多種多様な高校(特に私立はこれまた敷地が広い!)が揃う「葛南」ほど素晴らしい地域はないと考えています。

最低でも4000万円の借金を抱えて東京都「南葛飾」のウサギ小屋に住み子を狭苦しい都立高校に通わせるか、3000万円程度で千葉県「葛南」に二階建てマイホームを建てて子を名門県立高校ないし敷地が広い千葉県内の私立高校に通わせるか。あなたならどうしますか。私には出産どころか結婚すらできないのですが、ささやかながら少子化対策、子どもたちのより良い青春に貢献したいところであります。

==========

<注意事項>

(1)私は不動産業者の回し者でも不動産関係の有資格者でもありません。したがって、真に中立的立場である一方、不動産に関する専門知識は有していません。契約は御自身の責任により行ってください。

(2)千葉県「葛南」(浦安市、市川市、船橋市、八千代市、習志野市)が東京都「南葛飾」(墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区)より一般的には治安が良いのは事実ですが、当然のことながら「葛南」にもピンポイントで治安の悪い地域は存在します。特にお子さんのいる方は、安易に家を建てる前に、試しに賃貸住宅に住んでみましょう。

(3)千葉県「葛南」も東京都「南葛飾」も、堤防の決壊または津波の到来が生じれば容易に浸水する地域です。浸水リスクを避けるのであれば市川市北部、船橋市北部などの台地をお勧めします。国土地理院が公開しているインターネット地図「地理院地図」を利用しますと、容易に標高を識別できます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?