今も待っている。

こころが痛むことがある。
きっと、私の体の節を全部切り離して、中身を全部ほじくりだしたところで、私のこころは現れないだろう。だというのに、「こころが痛い」とはっきりと、感じることがある。

ずっと待っていた人がいた。その人に、私のこころを救ってほしかった。けれど、それは大人になると同時にやめると決めたことだから、もうあの子のことを思って胸を焦がしたりしない。

自分のことを、ひとに話すことが苦手だ。小学校三年生の頃からそう。それから随分時が経った気がしているから、嘘をつくのも上手になってしまった。私は自分のことをよく、「詐欺師」だとか「二重人格」と思ったりする。(本当に詐欺師でお金持ちになれたり、二重人格で辛いことをもう一人の私に全部丸投げすることができたらよかったのだけれど)

嘘をつくという行為自体、私は悪いものだと思わない。本当に悪いのは、「嘘を嘘だったと明かしてしまうこと」だと思っている。

嘘をつく時は、覚悟をしなければならない。嘘をつきとおすという覚悟だ。自分を守る、あるいは相手のことを守るための嘘ならば、なおさら。種明かしをすると、嘘をついた相手を傷つけるということを、知っていないといけない。それで、傷つけないために、一生嘘を守らなければならない。

そういう自論も相まって、私は、自分のことを誰にも話さなくなった。別に、話したいとも思わなかったし、そもそも、「長い付き合い」なんて誰ともする気がなかったんだろう。する気がなかった、というよりは、するという選択肢がもともとなかった。

でも、自分のこと、話してどうする?
私の本当の話なんて、「親が幼いころに離婚して」だとか「母は病気で働けなくて」だとか「男の子だけじゃなくて女の子も好きなんだ」だとか「趣味で小説を書いてる」だとか「きみ以外の人間全員嫌い」だとか「きみが私以外の誰かと仲良くしていると殺したくなる」だとか「歳なんてとりたくなくてさっさと死にたい」だとか「本当は自分以外の誰にも興味なくて誰かのために生きられない」だとか、そんなことばっかり。

そんなことを誰かに話したいと、願っている。
受け入れてくれなくたっていいから、「そうなんだ」と言ってほしい。もう、それだけでいい。
「辛かったね」なんてやさしい言葉はいらないし、「それは甘えてるだけ」みたいな説教もいらない。ただ、聞いてほしいだけ。きみにだけ、知っていてほしい。

そして私はいま、願いが叶う一歩前まで来ているのだと思う。

「それでもいいよ。あなたの話が聞きたい。あなたのことを、知りたい」

そう言ってくれる誰かがいる時点で、私はかなり幸福な人間なんだろうな、と思う。成人式に行かなかった私のことを、「あなたらしい」と笑ってくれるきみがいることは。

どこまでが妄想で、どこまでが現実なのかわからない。そんな日々だ。起きていても何をしていたか覚えていない。眠る前になってようやく、好きな歌を歌いたくなる。ギターが弾きたくなる。中身のない小説が浮かんでくる。

ハッピーエンドなんて要らないのだ。涙を流した分、幸せになりたいとも思わない。友だちも恋人も家族も、全部ほしいとも思わない。たった一人だけ、私のことを理解して、受け入れて、好きだと言ってくれる人がいれば、それでいい。それ以外は、私のことなんて嫌ってくれて構わない。

そういう人が現れるのを、私は今も、ずっと待っている。


20210119

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