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栗山ノート

こんばんは。Nishiiです。
今回は「野村ノート」に引き続き、「栗山ノート」を読んでみました。栗山英樹さんは日本ハムファイターズ監督でWBC優勝を成し遂げた監督です。
良ければ野村克也さんの「野村ノート」も読んでみてください。

今回も3つにまとめていきたいと思います。


「君子は諸れを己に求め、小人は諸れを人に求む」

人の役に立つような行ないをする人は、成すべきことの責任は自分にあると考える。一方、自分本位の考えを持つ人は、責任を他人に押し付ける、といった解釈が当てはまるのでしょうか。

敗戦を選手に押し付けない。ミスを選手の責任にしない。監督就任から行動規範としてきたことですが、この「論語」の言葉を読み返したときに、自分への疑問が湧き起こりました。

知らず知らずのうちに責任を誰かに押しつけていたのではないだろうか。

論語にあるこの言葉ですが、経営者や企業家の言葉を引用した本を読んでいると、成功を収めたと言われる人たちの共通点として、古典に当たっていたのです。「四書五経」「論語」「易経」「韓非子」といったものの教えが、時代を越えて模範的で普遍的な価値を持つことに気づきました。


一燈照隅

大きなことを口にするよりもまず、自分がいるその場所を明るく照らす。という意味で、自分自身に落とし込むと「一生懸命にやったことが誰かのためになり、それを一度ではなく二度、三度と続けていく。一人ひとりがそれぞれの役割を果たすということが、生きざまとして素敵なのだ」ということになります。

「環境が人を作るということにとらわれてしまえば、人は単なるもの、単なる機械になってしまう。環境に左右されてはいけない」

人間が環境に左右されてたまるか、人間が環境を作ってやる、というメッセージとして受け止めています。ファイターズは戦力補強にたくさんのお金を投資するチームではありません。それでも勝ち切れる環境を作るのが私(栗山監督)の仕事です。

知恵を絞って、工夫を凝らす。移動距離が長い、日程がキツい、などといったことも理由にしないで、自分たちで勝てる環境を作る。負けたときの理由を、あらかじめ用意したくない。「優勝したチームとは環境が違うから」
と、言い訳をしたくない。


稚心を去る

「幼稚な心を去らなければ何をしても上達しない」という意味です。
「幼さを消す」ことを野球に置き換えると、私(栗山監督)自身にとっては「私利私欲や私心に左右されずにチームを率いる」ことであり、選手たちには「チームの勝利から逆算した行動」を求めました。

人間の成長を妨げるのは「子どもっぽい心」「大人になりきれていない心」です。端的に言えば「わがまま」が原因であることがとても多い。自分の思いどおりにいかなかった、ミスをしてしまった、批判された、といった現実にぶつかると、直情怪行になってしまう。

結果が出ていれば「大人の心」が大きくなる。「チームのために」という自己犠牲を、迷わずに発揮していく。

難しいのは低迷期でしょう。結果には原因があり、負けた試合では打たれた選手、打てなかった選手、失点につながるミスをした選手などが、はっきりとあぶり出されます。ミスをした選手を誰ひとり責めることはなくても、黒星が並ぶと闘志が萎んでいき、自分本位の感情が温度が上がっていくものです。

結果が出ていないときに、どうやって「大人の心」を引き出せるか。しなやかな反発力や重みのある忍耐力を持った、稚心のないチームを作り上げていきたいものです。


以上、3つにまとめましたが、栗山監督の言葉はどれも1つ1つに重みがありました。栗山監督は子供のころから野球ノートを書いていたようで、日々の自分を見つめ、チームのことを考えて何十年もやってきたようです。
それもあってか最初から最後まで飽きることない内容の濃い1ページ1ページでわくわくする本でした。

そのなかでも印象に残ったのは、吉田松陰が残したという「書を読む人はその精力の半ばを筆記に費やすべし」です。読むだけでなく書くことで、初めて心に入っていくからなのではないか。と言います。本当にそのとおりだなと思いました。この読書noteも続けていこうと思います。