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「庭」から読み解く『水の都の護神 ラティアスとラティオス』:失楽園と男女闘争

Ⓒ2002 オー・エル・エム

監督:湯山邦彦
脚本:園田英樹
公開:2002年

① 序論

『水の都の護神』は歴代ポケモン映画の中でもとりわけ人気と評価が高い作品らしい。シリーズ唯一アカデミー賞に出品された作品であり、歴代ポケモン映画人気ランキングのような企画では大体一位を取っている。
 しかし、YouTubeやブログなどに数多ある「考察」はどれも視点が似通っており、作品を十分に読み解けているとは言えない気がする。
 そこで、本論では『水の都の護神』について、あまり注目されることのない「秘密の庭」に着目することで以下の内容を読み解いていき、作品解釈に新たな視点をもたらしたい。
【1】本作の神話的構造について
【2】本作の男女闘争について

 以上について述べる前に、まずは本作の秘密の庭がどのようなスタイルの庭園なのか、次章にて確認する。

② 秘密の庭=17世紀イタリア式庭園

秘密の庭は17世紀の後期イタリア式庭園であると考えられる。イタリア式庭園とは、周囲よりやや低い土地を道路などの均等な直線で等分し、円形の池を中心に木や花を人工的に配置するスタイルの庭園である。
 また、【1】【2】の説明に関わってくるため、イタリア式庭園が整形庭園の一種であるということも指摘したい。整形庭園とは、「自然」を野蛮で無秩序なものとしてとらえ、その野蛮な自然から統制のとれた聖なる空間を区別しようという発想で作られた庭園であり、花や木の配置が自然ではありえないほど整然と「整形」されている点が特徴である。また、高い塀や木などで外界から完全に隔離されていることが多い。人工的に築きあげた楽園を内部に囲いこむことにより野蛮な外部から保護する狙いがある。

 庭園史を紐解くと、このような隔離された整形庭園から、だんだんと風景に溶けこむ開けたスタイルの庭園が増えていくことになる。これは、西洋人が自然への認識を「野蛮な空間」から「本来あるべき美しい空間」へと変化させたためである。
 しかし、『水の都の護神』における秘密の庭はまだ外部から内部を隔離する意図の強い、17世紀イタリア式整形庭園のスタイルとなっている。この点を、次章以降の作品解釈の足がかりにしたい。

③ 神話的構造について:『失楽園』との関連性

本章は【1】のテーマについて論じる。「庭」をキーワードに考えた場合、『水の都の護神』はジョン・ミルトン『失楽園』との関連性が非常に強い。『失楽園』とは、『創世記』を題材にルシフェルの反乱、アダムとイーブのエデン追放を描いた神話的な大作であり、類似点を多く持つ『水の都の護神』もまた神話的な性質を内包していると言えるのではないだろうか。

 全く異なる作品を比較する場合、それらを並べて論ずる理由がないといけないと思うが、私が『水の都の護神』と『失楽園』を比較しようと考えた理由は以下の通りである: ①『水の都の護神』の秘密の庭は17世紀の様式だと思われる。これは『失楽園』の書かれた時期と一致する。②『失楽園』のアダムとイーブはエデンの園という「庭」を整備する仕事を持っている。つまり「整備された庭に悪役が侵入し、そのため災いが引き起こされる」という共通の物語構造がある。

 続いて両作品の登場人物について整理していきたい。重要な登場人物を記号化して並べると、「加害者」「被害者」「守護者」そして「神」となるだろう。
 加害者とは、『水の都の護神』/『失楽園』においてザンナーとリオン/ルシフェルのことである。両者はそれぞれ「世界一の泥棒」/「地獄の王」と悪の世界のトップであり、「計略を以て楽園に侵入し、被害者に接触することで災いをもたらす」という役割を果たしている。女性(に該当するもの。『水の都の護神』においては「こころのしずく」が女性的なニュアンスを帯びている。『失楽園』の場合イーブ)を狙うという手口も一致している。
 被害者とは、ボンゴレとカノン/アダムとイーブのことである。加害者により具体的な被害を受ける役割であり、『失楽園』の場合「庭からの追放」という罰が与えられることになる。『水の都の護神』では津波による消滅という形で「庭からの追放」が達成されるはずであったが、後述の「守護者」がこれを阻止する。
 守護者とはラティアスとラティオス/ガブリエルやミカエルなど天使たちのことである。前述の通り「秘密の庭」は「外部から保護されるべき聖なる内部」であるが、これは『失楽園』における「エデンの園」に該当し、守護者たちは「聖なる内部」を守護する役割を担っている。また、その中でもラティアス/ウリエルは意図せず加害者を庭へと導いてしまう役目も同時に果たしている。『水の都の護神』に関しては、①守護者が加害者に一時的に敗退する、②守護者が命をかけて被害者の楽園追放を阻止する、という2点の追加要素が物語にダイナミズムを与えている。
 最後の要素は「神」である。『失楽園』では全治全能の創造主ヤハウェが登場するものの、『水の都の護神』では一見そのような存在が登場しないように思える。しかし、こころのしずくが穢された結果引き起こされる津波は明らかに「神の裁き」を意識させる「機能」である。つまり、『水の都の護神』における神は「存在として」ではなく「機能として」描写されていると考えることができる。

 この「機能としての神」に注目することで、『水の都の護神』における神話的構造が明らかになる。つまり、本作は秘密の庭というエデンの園から神の力によって追放される被害者と、その追放を阻止しようと奮闘する守護者の物語と解釈することができるのである。

 次章では視点を変えて【2】について、作品内の男女闘争を時系列に沿って整理し、秘密の庭が「抑圧された女性原理」の表象である可能性を指摘したい。

④ 男女闘争について:「おとぎばなし」「秘密の庭」「ラティオスの死」

本作の時系列は以下の三つに大別できる: ①おとぎばなし期、②サトシ来訪直前期、③サトシ来訪期。そして、それぞれの時期で異なる形の男女闘争が発生している。

 まずは「おとぎばなし期」における男女闘争について論じたい。『水の都の護神』で語られるおとぎばなしは、過去アルトマーレで起こった歴史的な出来事を題材にしており、あらすじは次の二点に集約できる:①おじいさんおばあさんとラティ兄妹の疑似家族的交流、②侵略されるアルトマーレ。そして、②という大事件が①の要素により解決され、その象徴として「こころのしずく」がもたらされる、という物語構造になっている。
 このおとぎばなしを男女闘争の視点で解釈すると、「戦争」「侵略」という男性原理が「家族愛」「人の心(=こころのしずく)」という女性原理により「鎮圧」された、という内容になるだろう。つまり、おとぎばなし期の男女闘争は女性原理の勝利という形で幕を閉じるのである。

 おとぎばなし期以降のアルトマーレは女性原理の優位性を基盤に発展したと考えられるが、サトシ来訪直前期にはジェンダー表象のバランスが変化し、新たな男女闘争が発生している。そして、その新たな男女闘争の構図がもっともわかりやすく表れている場所こそ秘密の庭である。
 前提として、整形庭園は男性原理的発想によって発展している。男性権力者の権威の象徴という側面はもちろん、自然を「囲いこみ」「都合良く形を変える」という発想は、19世紀に「家庭の天使」として女性を家庭に縛りつけていた男性原理的なイデオロギーそのものと言える。秘密の庭に関しては、おそらくおとぎばなし期の戦争によりアルトマーレに根づいた「被侵略への恐怖心」がこころのしずく=女性原理を過剰に護ろうとする意識へと発展し、女性性の囲いこみにつながったのだろう。
 肝心な点は、女性性への守護意識が整形庭園という男性原理的な形として結実したことであり、ここからおとぎばなし期において勝利を収めた女性原理が今度は男性原理により抑圧される立場に貶められてしまった実状が見てとれる。

 この構図が、サトシ来訪期においてもう一度転換を見せる。まずは女性キャラクターたちの活躍が女性原理解放の兆しとなっている。冒頭の水上レースで勝利するのは主人公サトシではなくヒロインのカスミであるし、(「所有欲」と「征服欲」という男性原理的な動機で動いているにせよ)秘密の庭の「囲い」を突破するザンナーとリオンも女性である。ゲストポケモンに関してもスポットライトがあたっているのは明らかに雄のラティオスではなく雌のラティアスの方である。
 そして、サトシ来訪期の男女闘争はラティオスの死により完結することとなる。物語の過程で失われたこころのしずくは元々女性原理による平和のシンボルであった。そのため、再びアルトマーレにこころのしずく(=女性原理による平和)をもたらすためにはラティオスという男性性の排除が不可欠となる。つまり、サトシ来訪期は「男性性の排除により女性原理が力を取り戻すまでの期間」だと解釈できるのである。
 その一つの証左として、本作のクライマックスにおいて主人公サトシが無力である点を指摘したい。サトシはラティアスとともに悪役の意図をくじくため奔走するが、ラティオスの奪還も悪役への反撃も結局は雌であるラティアスの能力により達成されている。実はサトシ自身は事態の解決にほぼ貢献しておらず、言い換えれば男性性を発揮する場面が用意されていないのである。

 男女闘争の側面から読み解けば、本作は女性原理を囲いこむ男性原理が排除され、アルトマーレが再び女性原理による平和を取り戻す物語として解釈することができる。女性原理がもっとも抑圧されていたサトシ来訪直前期を象徴する場所こそが秘密の庭であり、サトシ来訪期終盤のラティオスの死が男性原理再排除の達成を告げているのである。

 少し無理矢理な説明になるが、アルトマーレという町を人体に例えた場合、こころのしずくという女性原理を心臓とし、隅々まで張り巡らされた水路という血管がその女性性を満遍なくいきわたらせている状態が、アルトマーレの想定する平和なのかもしれない。

⑤ まとめ

・秘密の庭=17世紀イタリア式庭園
・整形庭園=外部と内部を隔離し、野蛮な自然から聖なる空間を保護

【ポイント】
◯『失楽園』との類似点
 ・「加害者」「被害者」「守護者」「神」
 ・秘密の庭=エデンの園
 ・「機能としての神」の描写

〇男女闘争的構図
 1. こころのしずく=女性原理による平和の達成
 2. 秘密の庭=男性原理による女性性の囲いこみ
 3. ラティオスの死=男性原理の再排除

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