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一本のけやきからサバンナを夢見る

近所に、小さめの雑木林と公園を混ぜ合わせたような不思議な空間がある。

そこは、小学校に通う道の途中にあって、周りは一軒家ばかりだから、小さい森のようなそこは、いつも少し違う時間軸で進んでいるような気がしている。
一見すると木がたくさん生えている公園、なのだろうけど、大小さまざまな木が生えている様子は森のようで、ずっとあそこは私にとっては一番近い森だ。

小学校の頃って、みんなクワガタとか、芋虫とか、ザリガニとかを飼っていて、生き物が苦手な私はなにも飼っていなかったのだが、小学校高学年の頃に近所の年下の男の子が飼っていたザリガニをその森に一緒に埋めに行ったことを覚えている。彼は無事、土に還っていったのだろうか。

今日(1月7日)は、2021年最初の「とにかくダメな日」だった。ときおりこんな日がある。
やらなくちゃいけないことが山のようにあって、目を背けたり逃げている暇はないとわかっているのに、なにもできなくて、一日ぼうっとしていた。

午前中、完全に寝倒して、さすがに午後は予定通りにどうにか伸びていた髪を切りにいった。

散髪はすきだ。別の人になった気持ちを一瞬だけ味わえる気がする。
私は嫌なことや向き合えないことが起きると、たいてい散髪に行く。だから、私の髪はいつも短い。シャンプーが早く済むのはいいことだ。

風の強かった帰り道。少し遠回りをして、小学校の時の通学路をたどるように歩いて帰った。もう10年近く使っていない道だったが、あまり変わっていなかった。
あんなに遠かった道は大した長さはなかったし、大きいと思っていた道路は、どこにでもあるごく普通の道路だった。
苦手だった黒くて大きな犬は、もう私に向かって吠えてこなかった。

「森」も変わらずそこにいた。
森にはひときわ大きなけやきの木が一本生えていて、気が付くと葉はもう全て落ちていた。12月の頭にはまだ葉が残っていたような気がしていたのに。

やけに開けた16時30分の薄青のそらに、なんにもつけていない素っ裸のけやきの枝が広がっていた。

森の前の坂の上から見たその風景は、なんとなくアフリカのサバンナの広大な野原に立つ、名前も知らな一本の木の風景と重なっている気がした。

アフリカに行ったことはないし、アフリカの映像はNHKの『ダーウィンが来た』か『水曜どうでしょう』ぐらいでしか見ていないはずなのに。

小学生の頃の私にとってはあの森は、屋久島の森だったし、浅間山の森だったし、テレビの中のサバンナだったし、貴重な遊び場だった。

今私にとっても、あの森はサバンナたりえるのかと、今日久しぶりに小学生の自分に再開したかのような気持ちだった。

あそこは、今もこのあたりの小学生にとって、大事な命を還す墓地なのだろうか。

近いうちに本物のサバンナまで旅をしてみたい。

(今日の表紙は数年前に行った軽井沢のスキー場で撮った写真である。来年はスキーに行きたい。)

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