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武士道とは、認知不協和の克服とみつけたり

みなさん、2023年の瀬ですが今年も元気に認知不協和されましたか?ぼくはバリバリしています!(笑

仕事をしていると「事実関係を認めず自分の意見を主張し続ける」という方に時々であいますが、ベトナムの仕事では割合が大きいように感じています。 おそらく「払う側がえらい!」という論理の割に支払い能力が低い場合、オフショアくらいしか話を聞いてもらえないためベトナムITに投げるブローカーに釣り上げられた社長さんや営業の方たちの傾向なのだろうな、と分析していますが、そもそもどんなメカニズムでそうなるのか?調べていたらこんな記事を発見しました。 なんでもあるなNOTE 界隈っ!(笑

「失敗をなかなか認められない」という人間の心理がある。その理由の多くが、社会心理学の用語で「認知的不協和」に陥っている。一言でいうと、自らの信念と反する事実が生じた場合、その事実によって自尊心が脅かされ、苦痛を感じることである。

とあり、自分が正しい前提(自尊心)と密接に関係があるようです。

エラい人が陥りやすい 「認知不協和」 

NOTEの記事は「失敗の科学」という本をもとにしているそうで、特に危険な「偉い人が陥りやすい」ケースを警告しています。本は読んでいないのですが、人の命を預かる医療系の人にもおすすめという事で、日本にいる娘に送りました。帰国時にドヤされると思います😆

認知的不協和が起きやすい状況と立場

認知的不協和は、自尊心を脅かす可能性があれば、業界や立場に関係なくおきうる心理状況である。ただし、ある行動や判断のために費やしたコスト、努力などが大きければ大きいほど、その行動や判断が失敗であったことを認めることは困難となるそうだ。また、組織の上層部に行けば行くほど社会的地位が高いほど、顕著となり、失敗を認めにくくなってしまうという。

お客様は神様な日本なので、偉い立場の人で観察されるのはこういう理由なのだな、と納得(笑
海外でもあるにはあるでしょうが、一般的には封建的な上下の時代は終わって、よりお金や効率を重視するのがビジネスマンなので費用が上がったりリスクが増える「威張り」はしないのが普通です。

認知的不協和(cognitive dissonance)の定義

認知的不協和(cognitive dissonance)とは、自身の思考や行動と矛盾する認知を抱えている状態、またその際に覚える不快感を意味する言葉で、たとえば、「ダイエットしたい」と「カロリーが高いものを食べたい」という矛盾する認知が、ストレスになっているような精神状態とそこで行われる心理現象のこと。

不協和は不愉快な状態ですので、それを解決するために「過去の体験や知識を変化させる」か「現状の認知を変化・否定」させて「矛盾する認知の定義を変更もしくは過小評価する」「自身の態度や行動を変更する」

ということです。どーゆうことですかっ?!

例:煙草がやめられない

喫煙者によっては「たばこは体に悪いと分かっていてもやめられない」という矛盾行為が生まれます。そこには「たばこが吸いたい」けれど「体に悪いから辞めたほうが良い」という認知的不協和があります。

そのとき喫煙者は、煙草を吸い続けるために自らの行為を正当化します。

  • イライラすると仕事に影響があるから

  • 実際にはそんなに肺がんにならないじゃないか

  • 副流煙さえ気にして人に迷惑をかけなければ良い

など、正当化の理由は様々でしょう。

武士道に見る対策

上下関係が変更不可能なほど厳しく設定された身分制度の江戸時代までの日本。現在では考えられないような野蛮な枠組みで7%しか良いない武士に従い、逆らえば切り捨て御免、と処刑されてしまう世界がつい最近まで展開されていた日本。

それほどまでのエラさが確定したら、認知不協和と権力暴走で大変なことになっていたはずです。そうしたことを抑止するためでしょうか、武士には色々なルールがあり厳しい戒め「武士道」なるものが存在していたようです。(常に守っていたのかは不明)

高い自尊心とセットの切腹システム

武士道を特徴づける「7つの徳目(義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義)」に「誠」があります。
まこと・正しさ、ですね。「言う」を「成す」と書いて「誠」です。
「約束は必ず守る」ということであり「正直」であることを意味します。
極端な話、嘘ついたのがバレたら切腹。

これがなぜ悪いか、というのがすごくて

嘘をついてしまうのは「自分の弱さ」からで存在価値なし」

という哲学です。

権力があるのだから嘘はダメだぜ?というのが強烈に戒められていたのは、武士道の元になっている中国の儒教やインド由来の禅からきているでしょうが、認知的不協和にどう対処するか、古くから帝王学の大きなテーマだったに違いありません。偉くなると拡大してしまう問題なのですから。

多くの武将が禅宗に学び、高僧が武将のブレーンとして活躍 

ルールがあるからといっても、誰でも行動に結びつくはずもなく実際のところはトレーニングがされていたようで、武道意外にお寺で修行したり、高僧が家庭教師やブレーンとして武士の傍で精神修行をサポートしていた記録があるそうです。民度の維持など、統治のためにも宗教は必要でお互いWin Winの関係だったのでしょう。「論語」も武士の教育の必須科目で、認知不協和対策のために教育があるくらいの勢いだったかもしれません。

欧米価値観の影響?

これはちょっと前にChatGPT先生に相談したら解説してくれた、日本人の嘘の理解と密接な関係があるんだろうな!と思いました。
思えば嘘が普通な地域は欧米やその植民地で顕著。根っこの価値観・哲学の違いは歴史的なことが大きいのでしょうが、日本も欧米化が進み「認知不協和」について考えないといけない状況に来他のかもしれません。


ちなみに海外では

武士道というと「死ぬことと見つけたり」が悪用されて有名になった葉隠が有名ですが海外では新渡戸稲造の「武士道」が意外なほど有名です。これは読んだことがありますが、キリスト教徒の新渡戸稲造さんが主に英米との関係改善のために英語で出版して実際に効果を上げたという凄い本です。
この本のすごいところはキリスト教価値観にすると。。。と解説していることで、武士道の要素「礼」は「愛」だ、と説いています。礼を突き詰めていけば、それは相手へ尊敬が消化された愛になるのだ、というわけです。

知らない人はいない五千円の肖像です

外国で日本人の世界観の話になった時にもすごく会話が豊かになるし、海外の富裕層・知識層は知っていて知らないふりをして話していたりも多いので、海外生活では必読の1冊かな、と思っています。


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