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三島由紀夫と篠山紀信の写真集について

数日前、三島由紀夫を篠山紀信が撮影し、事件後お蔵入りになった「YUKIO MISHIMA THE DEATH OF A MAN」が米国で出版されるという記事が出ていたので、それについて思うことを残しておこうと思う。

まず、最初に私がこの記事を見たのは共同通信からのもので、その中にどうして約半世紀もの間刊行されることがなかったのか、どうして日本ではなく米国での刊行で、さらに言えば日本での刊行は未定。であるのか。
その理由が記載されていなくてどうしてだろうかと半日考えることになった。
三島由紀夫を篠山紀信が撮影するという貴重な作品であるのだから、約50年も日の目を浴びないのはおかしいのではないかと感じたわけだ。

パッと頭に浮かんだ理由が資本主義的観点とイデオロギーの観点。要するに収支が合わないのでどの出版社も手をあげなかった。というものか、三島由紀夫が起こした事件によりその作品が出版できない状況に陥ったのか。その2つだった。

前者はありえないだろうと思いつつも、個人的には後者の理由よりはマシに感じられ、自分の中で残しておいたのだけれど、まずこの二人の作品で収支が取れないというのは考えにくい上、文化的価値を考えると収支が合わないにしても、出版し後世に残す価値は十分にあると考えるのは当然のことだと思う。


ではイデオロギーの観点で話を進める。
結果的にこちらが理由だったわけだけれども、ここに京都新聞の記事を載せておくことにする。

私は三島由紀夫が事件を起こした当時を生きていたわけではないので、この事件がどれだけ衝撃的で、多くの人に影響を与えたのかはわからない。
おそらく相当なものだったのだろうと、ドキュメンタリーを見て、本を読んで知ることしかできないわけである。
そんなことがあったからといってこの写真集の刊行を止めてしまい、それを半世紀後に日本からではなく、米国から刊行される。そんなのあんまりだと思うわけです。

表現の自由が何か、とかそんなことを言いたいわけではなく、これを少なくとも日本で刊行できなかったという表現への、芸術への態度がこの出来事に現れているように感じるわけです。
見たくないものには蓋をしてしまう。めんどくさい事象は二度と思い出さないように徹底的に無視する。
それに対して、誰も口には出さず、当時の空気感ではどうすることもできなかったと、また訳のわからん理由述べる人が出てくる事になる。

それでなんでもまかり通る、という思想をそろそろ捨てるべきではないのかと言いたい。

そもそも、もしこの写真集の影響によって国民の軍国主義への評価が変わるのであれば、それは民主主義国家において反映されてしかるべきものであるはずで、規制する側の都合により、物事の良し悪しを決めつけてしまったら、その体制は成り立たないんだ、と考えるのが規制する権利のあるものの考えになくてはならないはずだろう。

それでなくても世の中には人の価値観を変えてしまうような本や、映画、絵画などがたくさんある。誰であれそれらの作人に対し絶対的な価値観をつけることはできないのは当然のことで、大切なのはそれらの作品を尊重し、保護する観点ではないだろうか。
その考え方がなければ日本で人の考え方を変えるような強烈な表現がなくなっていき、誰しもが一定の好感を抱く普遍的な表現しかなくなってしまう。
そんなの私は嫌だ。それだけのことなんですけれども。

そんな個人的な主張をすることができるのも、本来この社会のいいところでしょうに。

反日日本人がいたとして、それが何が悪いのか。
憲法改正に反対、賛成それぞれの主張があって何が悪いのか。

どんな意見に対しても公平で、そのような考えもあるのかと、それすらも自分の思考の一部に加えることのできる人間が世の中に存在する事柄に対し、批評することができるのではないかと思うのです。

自分がいているうちにこれらの考え方を変えることができれば。
その変化の片棒を担ぐことが自分にできることではないかと思っている訳です。
その変化が必ずしも世の中に良い影響を与えるとは思っていませんが、私はそれを信じていて、行動する。個人的にはそれで十分ではないかと思っています。



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