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生きる片手間

幸運なことに気が付いたら息をして、言葉を喋り、生きていた。
「生まれてきたことを幸せに思え」という人があるけれど、ほとんどの人が生まれてきたことを記憶していない。
そんな中で生まれてきたことにどう幸福を感じればいいのだろうか。
別に変な話でもなくて、人が羨ましがるようないい暮らしをしているわけでもなく、特別に人望がありいつも人に囲まれているというタイプでもなく、むしろどちらにしてもその対極にいるのが私だろうと思う。
ただそれでも、今こうして本を読んで、週末は家で映画を見て、写真を撮りに街へ出て、そんな風に生きるために必要な本質的なものとは外れたことによって幸せを感じることができるという状況に「自分は恵まれているんだな」と思うことは多々あって、そりゃ世の中まだ戦争している地域があったり、食べ物がなく毎日三食食べることのできない人たちがいる。
それを考えたなら、少なくとも私は「自分は不幸だ」とか、「運が悪い」なんて言えないなと思ったりすることもある。
別に私は現在、社会問題に対して、何か運動や行動を起こしている立場でもないし、そう言ったことが今なお起きているというのを自分の目てみたわけでもない、本や、映画、ニュースからの情報に過ぎない。
世の中で起きていることのほとんどは知らないまでもやはり少しは知って、聞いて自分の目で確かめることができたらと日頃思っていて、それも多分私が恵まれているからだろう。

人は生きているうちに本当にいろいろなことを考えるんだなと感心することがある。それを口に出すにしろ、書き出すにしろ、自分の中にしまってるにしろ本当にいろいろなことを考える。
もしかしたら無駄なことかもしれないけれど、せっかくだから私は生きる片手間言葉を残してみようかなと思う。
やり方は何だっていいなだけど、望めば毎日三食ご飯が食べれて清潔な生活を送ることができるんだからと。これからも片手間にいろいろなことをやってやろうと決意や情熱なんてあいにく持ち合わせていないけど、適当にやってみよう。

二宮尊徳がやっていたように私も片手間にやってみようかなと思う。



※よく記事の内容とは全く関係のない写真を載せていますが、あれらはただの趣味で基本的に関係はありません。
写真はインスタグラムであげているので良かったら覗いてみてください。
https://www.instagram.com/_t0909_


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