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襟を正される。

少し前に自宅からコンビニにいく数分間に起きた襟を正されるような出来事について忘れないために書いておこうと思う。

特に何か意味があったわけでなく自宅から一番近いコンビニに行った時、コンビニの前である男性と出会いました。まず遠目にその男性を見た時長い棒を持っていてそれを使い地面に落ちている何をつついているよで、近づいていくうちににその男性が持っているのは視覚障害者が安全に歩行する際に使用する白杖(身体障害者福祉法や福祉用具の分類での名称は盲人安全つえ)でそれを使い落ちている缶をつつき、なんとか拾おうとしているのだというのがわかりました。
缶なので杖でつついてしまうと転がっってしまい、拾うのに苦戦しているようで「拾いましょうか?」と声をかけると
「ありがとうございます。飲み終わったものを落としてしまって。」と、その男性は私に言い、それにつづけて
「目が見えないので何か物を落としてしまったら拾うのが大変で、助かりました。」と。私はそれに対し中身も入っていなかったのでほんの少し話した後、
「これ捨てときますね。」と言ってその男性と別れ、コンビニに入りそのゴミを捨て、自分の必要なものを買って帰ったのですがその後少し時間が過ぎふと考えた時、あの数分の体験から私にとってとても大切なことに気づき襟を正された思いでした。

「目が見えないので何かものを落としてしまったら拾うのが大変で」と言っていた男性が自分の大切なものを落としたならまだしも、空き缶を拾うために時間と労力を使うなんて、と。こんなことを考えてしまう自分をその時猛烈に恥ずかしく思いました。
もちろん私自身ポイ捨てをするわけでもなくゴミを落としてしまったら拾います。が、私が今目が見えなくなってしまったとして落としたゴミを無理してまで拾うのかと聞かれれば正直「もちろんです。」とは言えないと思います。
自分ではポイ捨てをしないからといって、そこら辺に落ちているゴミを積極的に拾ったりするかというとそんなことはありませんし、日本は街が綺麗だと言われるにしても普通にゴミなんてそこらじゅうに落ちているし、普段そのことを気にしたことはありません、正直落ちているものが一つぐらい増えたってという思いも心の中ではあったはずです。

その自分で作り上げた常識の中で、わざわざゴミを拾うためにそこまでするのか、という本当に恥ずかしい考えが浮かんできたと同時に、私にとっての常識は当然他の人にとってのそれではないし、彼が生まれた時から目が見えないのか、ある時点からそうなったのかはわかりませんが私が当然だと思っていた光景は彼の当然ではなかったという普段から気をつけているつもりだったそれを全く意識できていなかったということにも気づかされました。


彼がどのように世の中を捉えているのかについて詳しくはわかりませんが、彼の行動を見ると、彼が当然のこととして行なっていたことがある程度全体を通して成立してる、と思っているのではと感じ、そうなればいいなと思いました。
それによく考えると、目が見えない人たちにとっては道にゴミが落ちているということは結構危険なことなのではないでしょうか?
一人一人の行動が他の人にどう言った影響を与えるものなのかをそう言った機会があれば少しでいいので考えれればと、でこの文章が誰かにとっての機会になればなとおもって。

この話は気づきというよりは反省の念が大きいのですが、このたった数分の体験によって得たものは私にとってすごく大きなものでした。これを忘れず




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