へき地”ならでは”の体験型ESD(SDGs)
へき地というぐらいなので、自然は有り余るほどあるわけで。どうせならそれを教材にしてしまおうと考えるのは、教育者の自然な考えなんだと思う。
野山に分け入る系の授業
へき地に赴任して慌てて買いに行ったもののなかに、トレッキングシューズがある。今まで買ったこともなかったのに新たに必要になったのは、普段の生活でも雨や雪の時に重宝するということもあるが、特別な活動に必要だったからだ。
つまり、野山に入っていくわけだ。出身が田舎の私は、ある程度の野山は歩いた経験があった。しかしながら行く先は”ある程度”ではなかった・・・。
「獣道では?」
と言いたくなるような木がないだけの山道を登って、降りる。
子どもたちは慣れたもので、すいすいと登っていく。公園を散歩しながら季節のものを見つけていく「生活科」という時間が低学年にはあるが、それぐらいの気軽さで、のどかさで、「土の壁かな?」みたいな場所も、何かしらの発見をしながら上り下りする。手には宝物が集まっていく。
探検の時間
1ヶ月に1度全校児童が探検に出かける時間がある。教員が引率(というか後ろから安全確認しながらついていくのがやっとなんだけど)して、子どもたちが探検したい場所に行く。
行き先の決め方は、高学年に任せてある。教師の人数が足りるならいくつのグループにしても構わない。ただし、先生と6年生は一つのグループに一人ずつ入ることになっている。先生は安全確認のためにいて、6年生は探検隊のリーダーだ。細かい行き先を決めたり、何をして遊ぶかを決めたり、時間内に戻ってこれるようにみんなに声をかけたりする。川で釣りという場合もあるし、山菜を採ってくる時もある。地域の人が子どもたちにおすそ分けをしてくれて、農作物を持って帰ってみんなで食べるということもあった。
帰ってきたら、自分達の宝物を見せ合いながら、どこでとれたのかをカードにして地図に貼り付けていく。
最初は「歩くの辛いからやだな〜」と思っていた活動だったけど、子どもたちの楽しそうな様子を見ているとこの活動の意義がわかってきた。1年生から6年生までそれぞれの見方で地域を見て回って、触れて、嗅いで、食べて、話して・・・いつの間にか自分達の地域が大好きになっているのだ。
ESDとは、持続可能な開発のための教育
今、学校ではSDGsを教えることになっている。特に教科を絞って教えるわけではなくて、「基盤となる理念」として色々な教科を通して、「持続可能な社会の創り手」を育てることとなっている。
最近はそういう意識で授業をされる先生も増えてきていて、先日も都市部とオンラインでつながる研修中に
「どうやってSDGsを授業の中で扱ったらいいのだろう。」
という話題になった。
資料がいっぱい見れるホームページや、楽しく17の目標を学べるゲームなんかも紹介してもらった。SDGsという言葉を初めて聞く先生方もいたようで、それはそれで有意義だなと思いながら話を聞いていた。
・・・でもなんかモヤっとする。
その時は、どうして自分がモヤっとするのか分からずにいたのだけれど、今こうやって文章にしていく中でやっとその理由がわかった。
つまり
「17の目標が何かって分かるよりも、心から自分の住んでる地域を愛している子を育てる方が先なのでは?」
ということだったのだ。
出発点が、知識なのか愛情なのか
知識でわかっているからといって、行動に結びつくかというと、そうではない場合が多い。だって、大人がそうだから。
でも、自分の愛する故郷が危機にあるとしたらどうだろう。なんとかしたいという思いが、行動に結びつくのではないか。そういう思いから学び始めるのではないか。そしてその学びの目的は「17の目標」を知ったその先にあるのではないか。具体的にどういう手を打つのかまで考え出すのではないか。
へき地には昔から都市部に人材が取られてしまうという問題があった。だからこそ、地域を愛す子どもを育てたいという気持ちが強い。たとえ都市部に行ったとしても、故郷のことを忘れない人でいてほしいという思いから、地域性の強い特別な活動に力を入れてきた。
それってもうESDそのものでは?
自分の故郷をも愛せない人が、日本や世界のことを愛せるだろうか。なんのために持続可能な世界にしたいのか。それは、自分の大事な人と、その人が住む地域を守りたいからでは?そこから出発したのなら、世界で起こっていることも17の目標が立てられた経緯も、他人事ではなくなる。
押し付けではなく、概念としてでもなく、心から湧き起こってくる愛情に育つように、私たちは子どもたちと一緒に、トレッキングシューズに泥をつけて野山を駆け回る。
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