霊的なものを否定する科学的根拠はない、それどころか…

人生でトラブルに多々見舞われる原因として、親族のやらかしによる稲荷の祟りがある可能性が高いとの事で神仏関係の整理をして参りました。
参拝習慣の見直しをしたところ、確かに不運の奇跡的な連続現象が収束致しまして。

心理学は医科学的な根拠をスルーしている箇所が多いものと見ておりまして、あの詐欺師めいたあやふやな論理に対し真っ向から懐疑的な視線を向ける所存ですが、霊的なものに関して私は疑った事があまりありません。
少年時代に否定をしていた事ならありますが。
…何故なら、聞こえたし、見てしまったり触れられてしまう機会がそこそこあったから。恐ろしくて「科学的根拠がないから存在しない!!」と怯えていたのです。

青年期に入り、そういったものが視える方や世界の持つ量子効果、そこに伴う最先端化学、脳の量子構造などの分野に出会った事により、「ああ、そういったものが存在してもなんら不自然な事は物理学的に…ないな」と思うようになりました。
「我々の思う自我・生存という概念自体が幻想で、生存という概念に並んで死の定義、それぞれの実態は全く違うものなのではないか…?」とまで。

会った事のない元パートナーの親族に夢の中で(顔がはっきりわかるほどの明晰夢)出会い元パートナーの親族の写真を見て「あ、この人と夢で会ったよ」という謎の案件や、一週間後のニュースを事前に夢で見たり、毎日その日に会う人が誰かわかったり、その他にも沢山の不思議な事象がありましたが、
私が心理学に並んで大嫌いなスピ系の詐欺師的論理構築ではなく、あれらのスピリチュアル的現象は量子科学を中心とした物理効果で説明がつく可能性がある、というのにここ数年酷く興奮しています。

「こうあれ」とするものはそうたろうとする。
引き寄せとかいう曖昧なそれではなく、物理現象的にそれがあり得るのであれば。
全ての物理的存在が繋がっている時空連続体の一部なのだから、逆に自我が錯覚であったり、それぞれの情報の末端としての表現系でしかないのであるとすれば、あらゆる群体の起こす予定調和などの現象も或いは…

今まで祟りだの呪いだの霊魂だの、科学的根拠が弱い概念として語られていたもの達はいつかもっとはっきりした概念の実体を持つようになるかもしれないな、と思います。
つまるところこの世はこの世自体が幽霊のようなもの、つまり無限や有限ではなく「幽限」といったところなのでしょうか。
全てが存在と非存在の間の状態で揺れていて、そのどちらかの状態を観測や定義づけといった行為により強める。
その観測(定義づけ)結果が「過去」と呼ばれる時空連続体に対して干渉し、波として素粒子や重力・他を経由して伝わり、事前に物事を察知したり或いはその物事に向かう事象として我々も動く。
未来から過去の私達は「こうだった」と強く定義づけされ観測された事によって、物理学的効果が働き予定調和を生み出し始める。

我々がしている事は、様々な事象に対してゲシュタルトを与える事に他ならないのかもしれないなと思います。

八百万とはよくぞ言うもので、定義づけの数だけ、超物理学的効果(神と呼ばれる霊魂的な現象)が生まれるのでしょう。

ああ、早く霊だの神だの呪いだの祝いだの、そういうものの物理学的な正体が知りたい。
我々も同じ物理学的効果に生み出され存在させられている事象なのだから!


…というわけで、稲荷様、親族や身内が無礼極まりなくだらしのない連中ばかりなわけでございますが、私目から出来うる限りの礼を尽くしますゆえ、宜しくお願いいたします。
いつかあなたの正体を知る時がきましたら、その時も楽しくなりますよう、宜しくお願い致します。

この世は不思議で素晴らしい。

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